死ななきゃ花実は咲きません

通販生活」秋号の特集、『通販生活国民投票 イラク人質事件の自己責任論、是か非か』を読む。この事件はいまだに私の中で尾を引いていて、今でもこのときのことを考えると冷静になれない。この特集の中で評論家の大宅映子がこんなことを言っている。

自己責任について語る前に、まずNGOやジャーナリストの定義をはっきりさせる必要があります。最初に捕まった3人、そして次に捕まった2人に関しては、覚悟を持ったNGO、ジャーナリストと私は思えないのです。
 たとえば実績と歴史のあるNGOは、ムダな被害を増やさないルールを持っています。
 ジャーナリストにしてもそうです。ロバート・キャパ沢田教一さん(いずれも報道カメラマンで、戦場で取材中に死去)のような覚悟や使命感はあるのかということです。今回イラクで捕まった3人に同じような覚悟があるとはとても思えません。とりあえずジャーナリストでやって一発当てたい、という感じです。

イラクで拘束された人質の「覚悟」や「使命感」を云々する前に、大宅氏は彼らの何を知っていたのだろう。彼らにそれだけの覚悟も使命感もない「と思えない」と断じるに足るだけの根拠は?彼女自身、ジャーナリストを名乗っているけど、自身の印象だけで命を危険にさらされた「被害者」をエラソーに叩く「使命感」はどこから? 

「覚悟」や「使命感」を持っていたジャーナリストとしてキャパや沢田をあげているけど、先日亡くなった橋田信介さんたちの「自己責任」は云々されずに、運良く生きて帰ってきた彼らにのみバッシングが集中するあたり、死んで帰ってこないとその「覚悟」や「使命感」は認めてもらえないようだ。戦場ジャーナリストで「一発当てたい」と思っていない人なんていないだろう。NGOはともかく、ジャーナリストは慈善事業じゃないんだから。みんな、死ぬかもしれない、死んでもいい、という「覚悟」は持っているだろう。だけど、この国においてはそういう「覚悟」や「使命感」は死ななきゃ理解してもらえないようだ。

絶対安全地帯から、「覚悟があるんなら黙って死ね」とでも言わんばかりに「自己責任」だの「自業自得」だの言いたてる知識人たちの厚顔無恥ぶりには今更ながらにげんなりさせられる。