結婚のご挨拶
千代子さんの日記を読んで、オットがいわゆる「結婚のごあいさつ」で私の実家を訪れたときのことを思い出したよ。
「手みやげは何がいいかなあ」と悩むオットに「なんでもいいけど、とにかく数は大量にね」と忠告する私。
「大量に? なんで?」
「おそらくたくさんの親せきがが集まっているから、その人達全員に行き渡るようにしなきゃ」
「たくさんってどれくらいよ? とりあえず10個も持っていけばいい?」
「10個? とんでもない最低50個は」
「50? とこりの親戚ってそんなにいるの? ありえない!」
「親戚だけじゃなくて、お隣近所とか、模合の人とか、与那国の人も久米島の人も来るし」
「だって、結婚式じゃないんだよ?ただのご挨拶なんだよ? どうしてそんなにオオゴトになるんだよ?」
「私だってオオゴトにはしたくないわよ。でも、とにかくうちでなにか改まった席を設けると、どこからともなく人がわやわや集まってくることになっているから。これはもうしょうがない。こらえてくれ」
ときつく脅しておいたにもかかわらず、「50個もいらないだろ。だってまだ内々の挨拶だよ?引き出物じゃないんだからさ......」と半信半疑のオット。不安になって実家の母に電話すると「なんで〜手ぶらでおいで〜。お客さんもそんなに招ばないし何も準備してないよ〜」とのんきな返事。しかし母の「何にも準備してない」「そんなにたくさん招ばない」はまったく信用できないことを経験的に知っている私は、とりあえず間をとって20個の菓子折を注文し、別便で沖縄に送っておいた。
そして、私とオットは那覇空港に到着。迎えに来てくれた弟の車で実家に着くと、
-庭にテントが二張り設置(テントといってもキャンプ用ではない。お祭りなんかでよく出る『○○建設』とか社名が入っているでっかいヤツ)
- 見知らぬ人々が数十人、既に酔っぱらっていた
- サンシンとスピーカーが出ていた
- 台所では一升炊きの炊飯器2台に赤飯がみっちり。赤ん坊が泳げるくらいの鍋に中味汁がどっさり
という、いったいどこの部族の祭りだよ?という騒ぎがすでに始まっていたのだった。私にしてみれば「てゆうか、あんた誰よ?」という人が既にろれつが回らない口調で「とこり、おめでとうねえ。ないちゃーと結婚するのねえ〜」と握手を求めてきたり、オットの肩をバシバシ叩いて、「あんたはどこの人ね〜?」と本末転倒な質問をかましたり、その間をぬうようにして名前も知らない親戚やご近所の人父や母の友人知人が「お祝い」といって魚や肉を持ってくるわ、なぜか「祝電」が届くわ、へたな披露宴よりよっぽどオオゴトになっていたのである。
「なんでこーゆーことになるわけ? 披露宴じゃないんだよ? ただのご挨拶だって言ったじゃない! なんでこんな宴会になっちゃうのよ?」と逆ギレして母にくってかかると、
「なんでいいさあ。お父さんが喜んでみんなに声かけたんだのに。みんなにごちそうたくさん出すからあんた達はそこに座っていなさい」とこれまたのんきな答え。
到着五分で「ヤバイ、手みやげ足りない......」と青くなる私たち。案の定、持ち込んだ手みやげはものの1時間ですっかりなくなった。しかし、誰も手みやげのことなんか気にしている人はいない。だって、酒あるし〜、アバサー汁あるし〜、サーターアンダギーあるし〜、中味汁も刺身も赤飯も鮨もオードブルもあるし〜、ソーキもティビチもあるし〜、と誰も私たちが持参した「干菓子と新茶」などというちんまりとお上品な手みやげすっかりかすんでしまう。
よくテレビなんかで
「お父さんっ、お嬢さんをボクにください!」
「あーん、君は娘を幸せにする自信があるのかね?」
「はいっ! なにがあってもボクはとこりさんを幸せにしてみせますっ!」
「お父さん、お母さん、私、この人について行く!」
......というようなドラマティックな展開があるものと思っていたんだけど、そんなしおらしい空気は大量のごちそうと酒と人とサンシンの音色であっという間に雲散霧消してしまったのだった。到着するやいなや自己紹介もそこそこにそのまま宴会に突入し、結局オットはその日、深夜2時過ぎまで泡盛責めに遭わされ、へべれけになって、翌日二日酔いで地獄を見ることになる。私がオットの酔いつぶれた姿を見たのは後にも先にもこのときだけである。
もともとウチナーンチュの客人のもてなしは本土の人から見たらそうとう過剰なホスピタリティに見えるらしいけど、我が家は沖縄のなかでも特に過剰な方だと思う。それと、これが一番大きいと思うんだけど、売れ残り必至と思われていた私にもらい手がついたのがよほどうれしかったのであろう。ここまで盛大にもてなしてがんじがらめにしておけばさすがにドタキャンはできないもんな。
というわけでオットは見事にはめられたのだった。いやはや、しかしあのときは気疲れしたわ。