「文章」への愛着

 blog流行ということで敢えて書いておくと、とこりさんの『しゃべりたがる私』はすごく好きでずっと読んでいたのだけれど、はてなに移ってから、つまり『しゃべりたがる私のINPUT★OUTPUT』になってからなんだかつまらない。とこりさんとて、blogの形式に惑わされたのか、文章がぐっと減ってしまってる。


あいたたた。痛いところをつかれたなあ。
実は、最近の自分の日記を読んでいても「なんかなげやりっぽいなあ」「自分の文章に対する愛着が感じられないよなあ」と思っていたところなんですわ。


blogはなんといっても更新作業がものすごくラクなので、割とまめに更新するようになったし(いまじゃほとんど毎日更新してるしね)、キーワードリンクの恩恵か、アクセス数もぐっと伸びた。画像の登録もあっという間だし、「空メール」機能を使わなくてもコメント欄で感想がもらえるし、
トラックバックで相互コミュニケーションもできる。


でもね。
アクセスが伸びても、リンクしてくれる人、トラックバックしてくれる人が増えても、それは「とこりの文章」が読みたい人は実はほんの一握りで、たいてい私が提供した「情報」が目的なんだよね。その情報っつーのも「素顔の戦隊ヒーロー」とか「マツケンサンバ」とか、どうひいき目に見ても有意義とは言えないネタばかりだし......(汗)。ちなみにid:tokori:20041203で載せたヒーローたちの画像はエライ反響があって、あり得ない数のアクセスがきて焦りましたわ。


もともとがめんどくさがりやなんで、ホームページビルダー使ってしこしこ書いてた頃も、勢い一発の走り書き更新で、校正・訂正なんかほとんどしなかったけど、blogになってからはさらに雑になった。現在にくらべたら、あのころの方がまだ「表現」しようという意志はあった。曲がりなりにも、どうやったら相手に読んでもらえるか、自分の言いたいことを伝えられるか、どの言い回しが一番適切か、ということを、ない知恵しぼっていた気がする。ちゃんと「マクラ」「キモ」「オチ」というおおざっぱな構成も考えていたし。


blogに全面移転してもそのスタンスを変えるつもりはなかったけど、自分がblogを書くようになってからは、読むサイトもblog形式のモノばかりになってしまった。blogばっか読んでると思考回路がblog仕様になっていく。まご兄も引用しているid:kotokoさんの

文章を書いていないと、読んでいないと、文章との接し方がわからなくなる。


「ことこ・本と花びら大回転!」http://d.hatena.ne.jp/kotoko/20041202#1101994792

っつーのは、実に至言だと思います。


まご兄のいらだちはすごくよくわかる。私も「この人、blogになってからちょっと食い足りなくなったよなあ。寂しいよなあ」と思っているサイト、いくつもあるもの。そして、敢えて言及してくれたことで、私の日記に対する愛着を伝えてくれたことがとてもうれしい。ちゃんと読んでくれてる人もいるんだなあ。ありがたいことである。


私の書いたモノにどれほどの価値があるのかはわからないけれど、今まで楽しんで読んでくれた人には今まで通り楽しく読んでいてもらいたいし、何よりも、私が楽しくあるために、書き殴り、書き捨ての「メモ」ばかり書いてないで、もちっと考えて、もちっと自分の「文章」に愛着を持つようにしなければね。


それにしても、私はいったい何のために何が言いたくて毎日毎日書いているのかしら――と、キーボードを叩く指を止めてしばし考える。ううむ。

投票ボタン

そういえば、web日記始めた当初は日記才人の投票ランキングに参加してて、なんとか自分のランクを上げようと必死になってたんだった。一行タイトルを何度も書き直したり、レイアウトちょこちょこ変えたり、あちこちに空メール送って「営業」したり。読んでもらいたい度、投票ボタン押してもらいたい度、100%だった。モチベーション高かったなあ。今にして思えば、他愛もないランキングにむちゃくちゃムキなっていたあの頃の私がなんともいじらしいけど、あれはあれでとてもいい経験だった。ランキングがあがっていくのはものすごい快感だったしね。