「はじめてのおつかい」的葛藤

新春恒例、日本テレビの「はじめてのおつかいスペシャル」は、毎年楽しみにしている番組のひとつ。この番組はナレーションがくどいのが欠点だけど、あざとい演出や弱いモノいじめ、おおげさな効果音などもなく、ほんとに素直に、心から笑って泣ける最近では数少ない良質番組のひとつだと思う。


鴨川シーワールドのシャチのトレーナーである父親のために、ビニールチューブを買いに行った5歳の男の子。店番のおばちゃんに「ぼく、ひとりで来たの? エライね。いい子だからこれあげよう」と、キャンディをもらって「どうもありがと」と店を出たのはいいけど、2,3歩歩いたところで急に店にとって返し、「すみません、ぼくんち、子ども二人いるんです」としっかり弟の分までキャンディをもらうシーンに爆笑。


幼い妹と二人で夕食の買い物にスーパーに出かけたお姉ちゃん。いつもは昼寝を欠かさないという妹が帰り道に睡魔に襲われ、歩きながらこっくりこっくりし始める。次第に暗くなる周囲。お姉ちゃんは重たい荷物を引きずりながら「早く歩かないといつまでもおうちに着かないでしょ? 早く帰ろう? 眠いの? 眠いけど、頑張ろう? ね? ね?」と妹を必死になだめすかし、最後には泣きながら「わかった、お姉ちゃんがだっこしてあげるから」と、荷物を抱えたまま妹を抱きかかえてよろよろと歩き出す。


体重20㎏の姉が13㎏の妹をだっこして泣きながら歩く帰り道。妹も眠い目をさすりつつ、姉の限界を感じたのか、「ひとりで歩ける!」と頑張って、目をつぶったまま、今にも前のめりに倒れそうになりながらもよたよたとついて行く。二人で助け合って歩く、幼い姉妹のいじらしさ、愛らしさは、ほんとにもう、涙なしでは見られなかった。幼いなりに自分の責任と役割をしっかり認識していて、自分より力の弱いものをいたわる気持ちも忘れない。なんてまあ、いい子なんだろう。縁もゆかりもない傍観者の私ですら、こんなに胸を打たれるんだから、自分の子どものこんなけなげな姿を目の当たりにした親は、どんなにかいとおしく、誇らしく思うことだろう――と思うと、その親が少しねたましくなってしまう。


子どもは別にいいや、夫婦二人だけでも十分楽しいしもんね! やりたいこともたくさんあるし〜と、「子どもを持たない」という選択に普段は何の疑問も抱いていない私だけど、この番組を見ると決まって「やっぱ、子ども欲しいかも......」と思ってしまう。


番組を見ながら傍らのオットに
「やっぱさ、子供を持たないっていう選択は、人生の一番おいしいところを食わず嫌いしているような気がするよ。子育てってきっとすごくおもしろくて感動的なんじゃないかなあ」
と言うと、
「あんた、ほんとに影響されやすいね。この番組は子どもの一番かわいいところだけを選りすぐったいいところどりですから! 子育て全般が『はじめてのおつかい』みたいにかわいく感動的なことばかりじゃないですから! 残念!」
と言われた。ま、そりゃそうだろうけど。


愛読しているアヒルさんの「いつもの気分で♪」には中学生になる娘さんとのおしゃべりしたり、じゃれあったりしている楽しい描写が満載で、いつも楽しみにしている。ちょっと前の彼女の日記に、こんな箇所があった。

脚が調子悪いのと仕事が忙しいのとで昨夜の私は疲れきっていた。息子は部活で9時過ぎに帰宅予定だったので娘とふたりきりの夕食になった。普段だったら「ふーん、ふーん」と聞ける娘の話がとても煩わしく、ささいなことで娘に大声を上げてしまう。娘は驚いたのだろう、食べ終えるとだまって階段を駆け上って行ってしまった。


娘もアンサンブル・コンクールが目前で休みナシのまま朝早くから夜遅まで練習&練習の日々。相当参っているはずなのに、私ときたら……。そこですぐに「ゴメンね。ママが悪かったわ」と謝れればいいのだが私はそれができない未熟な母親。そこで娘に「久しぶりに一緒にお風呂へ入ろう」と提案。裸の付き合いをして「仲直り」をする。そしてふたりともゆでダコになった。


私が娘の年頃は、母親に裸を見られるだけでもイヤだったものなのだが、娘は全然おかまいなし。無邪気というかガキというか。

12月11日更新分


なんか、ぐっと来ちゃったんだよね。お風呂で仲直り。


私も母親と一緒に住んでた頃は、ホントーにけんかばっかりしてた。私は親の言うコトなんていっこも聞かないひねくれ者、しかも口だけは達者だから口答えだけは一人前の、こ憎たらしいガキだったし、またウチの母親というのが、理性もへったくれもない直情径行な性格で、子どもに八つ当たりばかりしていたもんだから、言い争いが絶えることはなかった。毎日毎日派手に怒鳴り合ったてて、親が親であること、子が子であることの鬱陶しさを日々かみしめていたんだけど、それでも、ケンカの後には、いつも「コーラ飲みたいな、とこり、買ってきてちょうだいよ」と母が提案して、二人で縁側に座ってコーラを飲んで仲直りしたもんだった。涼しい風が吹く縁側で、気まずい思いを流し込むように母と二人で飲んだ炭酸のきついコーラの味を思い出すたびに、母も母なりに一生懸命私たちを愛して、育ててくれたんだなあと、今になってシミジミ思うのである。


子どもを持つと、自分の自由が束縛されるし、お金もかかる。そもそも自分の子どもが、母親と一緒にお風呂に入ってくれて仲直りしてくれるような気の合う「仲間」になってくれるとは限らないし、「はじめてのおつかい」に出てくる子どもたちのように素直で純真に育つという保証はどこにもない。小学6年生の女の子が同級生を刺し殺してしまうご時世である。


でも、お風呂でゆでだこになりながら娘と仲直りできる幸せ、幼い姉が自分よりもっと幼い妹をだっこしながらよろよろ歩いて帰ってきたところを「よく頑張ったね!」と抱きしめてあげられる幸せ、なにか特別なことはなくてもいい、自分がこの世に送り出した命がどんどん成長して、泣いたり怒ったりわがまま言ったりする、その様子を見るだけで、「自分の時間が束縛される」「経済的に不安」「子育てを全うできる自信がない」なんていう心配は吹っ飛んでしまうものなのだろう。


子供を産み育てることのすばらしさは十分想像できるし、立派に子育てしている世のお母さんたちを私はとても尊敬している。そして、限りなくうらやましいと思っている。それでも、やはり
「いいなあ、子育て。私も子ども欲しい!」と素直に思えない私はいったいどうしたことだろう。


「結婚して、ごく自然に子供ができて、親になって、子育てして......」
という、多くの人が、ふつうに、きちんとこなしている営みが、どうして私にはできないんだろう、したくないんだろう?


そう思うと、私の心のどこかに欠陥があるのかなあ......などと考えてちょっと悲しくなったりもする。なんでだろう?


しかしなあ......。
奈良で起きた小学生女児殺害事件のニュースなどを見聞きすると、子を持つ親としては、とても一人で「はじめてのおつかい」に出そうなんて気は起こらなくなるだろう。そのうち「あんなに小さい子を一人でお使いに出すなんて非常識だ! 幼児虐待だ!」というクレームが番組当てに届くようになるのかもしれない。いや、もう届いているか。「はじめてのおつかい」は大勢のテレビクルーの監視の元、はじめて成立するイベントになってしまうのかも。


――そんな風に、精神的にも物理的にも、不気味に浸食される子育て環境のことを考えると、「子どもかあ、子どもねえ......」と考えあぐねている私の腰はまた引けてしまうのである。


いや、自分のわがままを優先させるうしろめたさを、社会のせい・環境のせいにしてごまかしているだけなのかもな。本音を言っちゃうと、まだまだ自由に遊びたい、楽しみたい、めんどくさいことはイヤ! それだけなのかもしれない。


いずれにせよ、素直に「子どもが欲しい」「母親になりたい」という気持ちには、やはりほど遠いようである。迷っている時間が長すぎたのかなあ......。