同志愛

某所で友人が書いてる日記の中に
「結婚してよかったなと思うとき。夜中に足がつったとき」
という記述があり、思わず笑ってしまった。私も、背中のジッパーをしめてもらうとき(身体が硬いので自分の背中に腕が回らない)や、肩を揉んでもらえるときなんかは、結婚してほんとによかったなあ〜と思う。あと、高いところのモノを取ってくれるときとか、どっかのネジがゆるんでいるのを直してもらうときとか、オーディオ製品の配線のこととか、ガテン系の作業や「技術・家庭科」の「技術」的な部分をやってくれるときも、ありがたいありがたい、結婚マンセーと思うんである。


こうやって列挙してみると、結婚って、自分専用の便利屋さんを1人永久雇用したようなもんか、と思わなくもないけど、いやいや、決してそれだけではないのですぞ。結婚は素晴らしいです。ゆめゆめ軽んじてはなりません。


ワタクシの場合、結婚してほんとによかったなあ〜、とつくづく思うのは、
「結婚することによって、結婚しなきゃ、という呪縛から解き放たれたこと」、これにつきる。


「結婚? そんなのめんどくさくて」
「わざわざ結婚しなくても、いつでも恋してるし〜」
「男なんかいなくても1人で生きていけるし〜」
「結婚すると男女の関係から家族の関係になっちゃうでしょ? だから結婚しないの」
などなど、一昔前のトレンディドラマみたいなコトを言う輩もおりますが、そんなのワタクシに言わせれば、経済的にも恋愛的にも余裕がある勝ち組・モテ族のセリフなんである。


幼い頃から終始一貫して非モテ系だった私は、思春期を迎えたあたりから、周囲の友人が楽しそうに話すBFや恋愛の悩みごとの話題とは常にかやの外だった。相思相愛のBFなんて消しゴムのかすほどの気配もなかった。なのに虚栄心と好奇心は人並み以上だから、理想と現実のギャップにコンプレックスばかりが募り、「どうして私はモテないのかなあ」「モテたいなあ」「でも、モテたい!って思ってるって思われるのもイヤだなあ」など煩悶苦悩、うじうじじめじめの、くらーい青春を送っていたのである。


思春期に植え付けられた「モテない女」としてのコンプレックスは根強く、私は過去の男性経験や恋愛事情などを得意げに*1こまごまと話す人が苦手である。反射的に仲間はずれにされているような気がする。「恋バナ」なんて大嫌い!


「男なんてもうこりごり」「彼のことは好きだけど結婚はめんどくさい」と言い放つ友人もいたけど、そのたびに「な、なんて罰当たりな!!」と怒りに震えたもんである。そんなこと言えるのはいつでも結婚できる相手、常に自分に求愛してくれる異性を常備している勝ち組だけである。「めんどくさい」結婚も恋愛も、相手がいなきゃ始まらないでしょうが〜!


このまま一生モテないのかな? ずっと1人かな? と、うじうじしていた私が、幸運にも(同じ非モテ系の)オットと知り合い、なんだかんだで結婚して、それなりにまともに結婚生活を送っているなんて、昔の境遇と考え合わせると奇跡のようである。既婚者という地位は少なくとも「モテる」「モテない」という競争社会からは一歩引いてみられる。あの焦燥感とはおさらばだ〜


というわけで、ワタクシの場合、結婚の最大のメリットは「結婚という呪縛」ひいては「モテレースからのリタイア」に他なりません。なんだ、結局世間体かよ! あ、いや、けっしてそれだけではないんです。結婚は愛ですよ、愛。非モテ系としての「同志愛」です。オット、お互い非モテ同志、末永くなかよくやっていきましょね。ここで別れたらまた非モテ生活に逆戻りですから〜

*1:別に得意になっているわけではないのだろうけど、私にはそう見える