爪楊枝と「椿姫」

こないだのことなんですけど、ワタクシ、齢35にして、な、なんとオペラデビュウいたしましたの。
オペラっつっても、ネットブラウザじゃないっすよ。金髪碧眼の男女が豪華絢爛な衣装を身にまとい、大仰な舞台装置をバックに、愛だ恋だ、別れる切れる、生きるの死ぬのと朗々と歌い上げる、あのオペラでございます。最近のワタクシはいったいどうしちゃったんでしょうか。先日は表参道のオサレレストランででセレブなお料理教室に行ったと思ったら今度はオペラですよ。このままいくと来年あたり、春の園遊会に呼ばれちゃったりしてるのかもしれません。血中濃度の30%はデヴィ夫人でございます。


いやね、オペラは前々からCDではよく聴いていたのです。とくに「カルメン」や「フィガロの結婚」なんかは大好きで、ほとんどのアリアは口ずさめるほど。お風呂でエコーを効かせながら高らかに歌い上げる「ハバネラ・とこり版」は、自分で言うのもナンですが、かなり絶品です。全裸だし。


最近は、DVDをちょこちょこと集めたり、CSやNHK・BSなどで舞台中継を観たりして楽しんでいたのですが、やはり、舞台芸術っつーのは、生で観てナンボでしょう。ああ、いつかはホンマモンを観たいなあ......というあこがれが日に日に募るばかり。しかし! オペラのチケットってべらぼうに高いじゃないですか。ずーっと前、「世界三大テノール」とやらがやってきたときにはチケットが何十万円というし、バレエやオペラって、とにかく「金のかかる道楽」というイメージがあって、平民の私は二の足を踏んでいたのです。


ところが、舞台好きの友人に「いつかは観てみたいのよねえ。でもあれって、毛皮とかカクテルドレスとか持っているブルジョアじゃないと入れてくれないんでしょ? 茨城県民なんてリージョンコードにひっかかっちゃうんでしょ?」と不安を訴えたところ、スカラ座やMETなどの超有名どころならいざ知らず、歌手も劇場もそんなに有名じゃないレベルの舞台なら、割と気軽なお値段で楽しめるとのこと。平日のソワレだったら仕事帰りのサラリーマンやOLなんかも多いので、きんきらきんにドレスアップする人も少ないし、思っていたよりずっとカジュアルよ、恐るるに足らず、生の舞台はそりゃあすばらしいわよ、じゃあ今度いっしょに行きましょうよ......と、先達を買って出てくれたのです。


で、行ってきましたよ、東京文化会館。演目は「ラ・トラビアータ(椿姫)」。これなら原作も読んだし、DVDも購入して何度も観ました。既にヒロイン・ビオレッタのアリア「花から花へ」は、ワタクシのバスタイムソングのレパートリーにしっかり入っています。記念すべきオペラデビューを飾るに相応しい、定番中の定番です。これなら絶対に楽しめるはず。席も2階席ながら舞台の真っ正面。チケットも1万3000円と、思っていたよりずっとお安かったです。ユニクロ服13枚分と考えるとクラクラしちゃうけどさ。


オペラといえば、マリー・アントワネット叶姉妹美輪明宏みたいな人たちがうようよしているかと思いきやさにあらず。そりゃあ、毛皮に訪問着! とMAXにおしゃれしたご婦人方もいらっしゃいましたが、ジーンズ姿の学生もいたり、上野松坂屋で買い物した帰り、といった風情のおばさま型もいたり、緩急はあるものの、全体的に結婚式の2次会レベルのおしゃれ度。簡単なパンツスーツ姿の私でも浮き上がることはありませんでした。


自分や周囲の人々の服装よりも、生まれて初めてのオペラ鑑賞にドキが胸胸の私。ずーっとずーっと観たかった生オペラ。しかも演目は究極のメロドラマ「椿姫」。どんなめくるめく陶酔の世界に誘ってくれるのかしら......といやが応にも高まる期待。♪これから始まる、これから始まる、カックラキンの大放送〜♪ の曲を口ずさみながら開演を待ちます。その前にオペラグラスをレンタルしたりして、うわ、ヨーロッパの貴族みたい♪とひとりごちたり。


さあ、準備万端。いよいよ幕が開きました。演奏や歌唱の良し悪しより、うわ、 CDと同じ曲だ〜、同じ歌だ〜、指揮者の人の髪型ヘン〜、ああ、やっぱり舞踏会のシーンステキ〜、あのバレリーナ細い〜、何食ってるんだ〜、すげーあのドレスキレイ〜、ヴィオレッタ役の人、化粧濃いぞ〜、字幕の訳が妙〜などと、とても芸術的とは言い難い感想を抱きつつも、アルマンが歌う「乾杯の歌」では足で拍子を取りながら心の中で合唱し、「花から花へ」ではプリマドンナの超絶なコロラトゥーラにうっとりし、長椅子に横たわったままでも会場の隅々まで響き渡る声で歌い続ける歌手の声量にただただ驚嘆。いやあ、百聞は一見にしかず。生はいいよ、生は! 奮発してよかったあ〜と、すっかりご満悦の私。


幕間に20分の休憩がありました。コーヒーでも飲むべ、とロビーに出ると、友人が「オペラの幕間はやっぱりシャンパンよ」と言います。みれば、ロゼと白のグラスのシャンパンを売っているスタンドが出ているではありませんか。おおお、そう言えば映画「プリティ・ウーマン」でも、オペラの幕間にシャンパンを飲むシーンがあったような......あのときジュリア・ロバーツが観ていたオペラも「椿姫」だった......そうよね、やっぱりオペラと言えばシャンパンよね! と、一杯800円もするグラスのシャンパンを頼んだのでした。気分はジュリア。


いい気になって頼んだのはいいんだけど、私はつまみがないと酒が飲めないタチ。しかも空きっ腹だったので、一口飲んだだけで早くもぐるんぐるん回りそうな気配。これはなんか胃に入れておかなければ本格的に酔っぱらって次の幕からは大声で歌い出しちゃうかもしれない、なんか、つまみはないか、つまみは! なんでもいい、固形物〜と、あたりを見回すと、かろうじてこれがありました。うっ......なんか、これって全然オペラっぽくないんですけど。確か、ジュリア・ロバーツシャンパンといっしょに生のイチゴかなんか食べてなかったっけ? こんなのジュリアじゃなーい! ちがーう!


――と激しい違和感を抱きながらも、背に腹はかえられず。片手にシャンパングラス、片手にナッツの小袋の私。なんか、「椿姫」からすごーーーく遠くなっちゃった気がするんですけど......。


おかげで休憩後の演奏中、ずーっと歯の隙間にはいりこんだナッツのかけらが気になって気になって......。ギブミー爪楊枝!と、集中力が2割方落ちてしまったのでした。


それはともかく、ラストシーン、病床のヴィオレッタが、最後の力を振り絞って舞台をひらひら飛び回ったあと、ばったり倒れて、ついに恋人アルマンの胸の中で息絶えるシーンでは、わかってはいてもやはり泣けてしまう。こんなのイマドキ昼ドラでもやんないわよ、というようなベタな筋なのですが、美しい音楽と歌唱と舞台装置でお膳立てされると、こんなにも心を打つものか、とクラシックの奥深さに感懐を深くし、実に久しぶりに「陶酔」という感覚を味わった一夜だったのでした。そんなわけで、私のオペラ体験、なかなか幸福なデビューを飾れたようです。ミックスナッツはともかく。


次回からは絶対つまみ持参するぞ、おー!(←違う)。