あのとき・あのばしょ

昨夜の銭形金太郎で、「スターがまだビンボーだった時代を振り返る」という企画で、今をときめくレイザーラモンHGが、学生時代を過ごした京都の街を歩き、思い出の場所・店・人を訪ね歩く様子を放送していた。


バリバリにキャラを作っているHGであるが、元カノ、プロレス同好会の友人、いつも魚のアラをくれたバイト先のおばちゃんなどと話すときは、やはり素が出てしまう。シンからうれしそうで、なつかしそうだった。特に非常に世話になったというバイト先のおばちゃんは、「この子はほんとによく働く優しい子で......」と帰省した息子を慈しむようなまなざしで語っていたのが印象的。キワモノキャラなHGだが、根っこの所はものすごく好青年だったんだなあ、とほほえましかった。


私は「今をときめくスター」じゃないけれど、だれかが似たような企画を立ててくれたら、どこに行きたいか、誰に会いたいか、ちょっと考えてみた。

  • 大学に入学して初めて入った学生寮

 小田急線の梅ヶ丘という駅から徒歩8分。築30年くらいの古色蒼然とした殺風景な建物だった。かつては男子寮として使われていたそうで、戸棚の扉に「打倒米帝」「安保粉砕」なんて勇ましい落書きが残されていた。3人部屋。エアコンなし。門限は10時。外泊は届け出制。朝と夜寮食がついて、光熱費は一律300円。寮費は月20,000円だった。いまはどうなっているかなあ。

  • 梅の湯

 冬場、寮のお風呂は1日おきになるので、よく銭湯に通った。私は上京して初めて銭湯に入った。
真冬、友人と連れだって銭湯に行き、帰りにコンビニで肉まんを買って食べた。当時、料金は295円。ケロリンの黄色い洗面器がなつかしい。友人はよくコンビニの公衆電話で彼氏にラブコールしていた。私も、いつか彼氏ができたら、銭湯の帰りに、この公衆電話で、ラブコールするんだ〜!
と妄想たくましくしていたが、、大学4年間、ついにその夢は叶わず......。

  • 初めて一人暮らしをしたアパート

 小田急線の鶴川という駅から徒歩10分。ユニットバスつきの6畳1K。家賃は47,000円。大学は渋谷にあったので、ものすごく遠くなった。友人はみんな世田谷界隈に住んでいたが、家賃が安かったので、えっちらおっちら通っていた。コンビニもスーパーもない、寂しい場所だったけど、それでも私の城だった。あこがれの一人暮らしを満喫した。いつか、彼氏を招いて、手料理を振る舞って、ファーストキスとかできたらステキだろうなあ......と妄想たくましくしていたが、、大学4年間、ついにその夢は叶わず......。

  • 大学の図書館

 図書館といっても、勉強やしらべ物をするわけではなく、もっぱら友達との待ち合わせスポットだった。まだ検索システムもデジタル化されていなくて、いちいちカードを引っ張り出してきて請求番号を記入する方式。薄暗い書庫には、いっつも人影がなく閑散としていて、隠微で神秘的な雰囲気が立ちこめていた。こんなところで彼氏とキスしたらステキだろうなあ......と妄想たくましくしていたが、大学4年間、ついにその夢は叶わず......

 いまはもうなき東急文化会館三省堂で立ち読みしたり、映画を観たり、ゼミの先輩たちとよくご飯を食べたりした。いつか彼氏ができたらここのプラネタリウムに行って、暗がりの中でキスしたらステキだろうなあ......と妄想たくましくしていたが、大学4年間、ついにその夢は叶わず......

  • 港区六本木界隈

 卒業後、小さなテレビ制作会社に入社した。麻布十番商店街のすぐそばにあったので、あのあたはうろうろ歩き回ってた。朝早く、徹夜明けで六本木ロアビルの前を歩いていたら、頭から血をだらだら流しながら、フツーの顔で歩いているスーツ姿の男性とすれ違ったことがある。六本木って怖いところだよお......とびっくりしたなあ。いかにも金のかかりそうなレストランやブティックが建ち並ぶオハイソな街だったが、ガテンな仕事をしていた私には、一切縁がなく、仕事も3ヶ月で辞めたので、華やかな六本木ライフはついに知らずじまい。でも、いつか、彼氏ができたら、ロシア大使館の近くにあるイタ飯屋かの有名な「キャンティ」に連れていってもらうんだ!......と妄想たくましくしていたが、未だにその夢は叶わず......


いかん、思い出してたら、懐かしくなるっていうよりも、情けなくなってきたよ......