癒され農村

昨日、テレ東で放送されていたふれあい農家民泊という番組を見た。

時間に追われストレスがたまりがちな現代社会。そんな今、ふとのんびりとした空気に浸れるぬくもりの「民泊」を一挙紹介。全国各地で除々に増えているこの「民泊」とは、一般の農家への宿泊(ホームスティ)のこと。民宿や旅館とは違い、ごく普通の田舎の家に泊めてもらうことで、そこでの暮らしや生活文化を自然に感じることができる。親戚の家に遊びに行くような、懐かしくゆったりとした寛ぎの空間を味わえる5農家を案内する。

という内容。単線のローカル線に乗って名前も聞いたことのないような終着駅で下車、そこからバスに乗り継ぎ数時間、さらに徒歩で数十分......という、鄙びきった農村での民泊体験である。とれたての地の食材を使った食事は垂涎モノだったし、農業体験、家畜の世話、薪割り、風呂炊き、もちつき、と盛りだくさんのオプションがついて一泊6千円くらい。安っ! ありきたりの観光地ホテルでお仕着せの食事と観光コースを回るより、ずっとお得で楽しいだろう。こどもの「情操」にもよさそうだしね。放送直後は問い合わせの電話がひっきりなしで大変だと思う。


これもテレ東だけど(それにしてもうちはテレ東ばっかり見てるなあ)、似たような番組で「田舎に泊まろう」なんていうのもある。これまた人里離れた農村に芸能人がふらっとやって来て、その辺を歩いている「素朴な村人」に「今晩泊めてください」とお願いして、むりやり民泊みたいなことをして、あれこれ接待してもらって、お帰りの際は、「姿が見えなくなるまで手を振ってくれて」「また来るからね〜」と涙なんか浮かべつつ、「いやあ、大切な出会いの旅になりました」というコメントでもって締めるという番組。


こういう番組で描かれる「農村」は、山や小川や田畑が広がる「どこか懐かしい風景」であり、「素直でやんちゃなこどもたち」が「自然の中でのびのびと遊んでいる」ことになっていて、「時間がゆっくり流れていて」「優しいおばあちゃん」「しっかりもののお母さん」が丹誠込めて作った「自然の素材いっぱいの手料理」を囲む「一家団欒の幸せ」があり、「都会の生活に疲れた旅人」を温かく歓待してくれることになっている。村人はみんな「素朴でいい人」。そこには「私たちが忘れかけていた」「ニッポンの原風景」があるということらしい。自家製味噌や石臼でひいたおそば、自分の家でついたお餅などを供されて、旅人は口を揃えて「こういう食事って最高の贅沢だわ〜」と感嘆し、薪で沸かしたお風呂に「癒される〜」を連発。ほんのちょこっと田植え体験をして「命の洗濯をした」とか「忘れかけていた何かを思い出させてくれた」とか言って喜んで帰っていくのだ。


スローフードロハスなんて言葉が流通するようになって、こういう「農村礼賛番組」がずいぶん増えたような気がする。団塊の世代がこぞって定年を迎え、「第二の人生を農村で」というニーズにも合致しているのだろう。けれど私は、この手の番組を見るたびに、作り手サイドのビミョーな「上から目線」を感じて違和感を覚えずにいられない。なんか腹立つのよね〜。


「こういう食事って最高の贅沢」......。贅沢って、様々な選択肢の中から選べる自由がある人だけが言えることじゃないかなあ。都会に住んでいれば、高級フレンチもお寿司もマックのハンバーガーもホカ弁もなんだって手に入る。ただ、薪でご飯を炊いたり自家製味噌を造ったり、そういうのはめんどくさいから、誰かが全部お膳立てしてくれたのを金を払って買って、それを「うまいうまい」と感激しつつ食べて、でも交通は不便だしケータイは圏外だし、そうしょっちゅう来られる場所じゃないから、ほんの2,3日で「なんでも買える都会」に戻っていく。戻る場所がある。でも、農村に住む人々には都会のような豊富な選択肢は用意されていない。「贅沢」もなにも、そこにいるしかないんだし、そこにあるものしか食べられないんだから。田舎にはマックもスタバもない。


それから「癒される」という言葉。なんで「都会からやって来た」それだけの理由で「田舎の人々」が「都会のあなた」を癒して差し上げなければならないのか、といつも思う。じゃあ「都会のあなた」はいままで「素朴」な「田舎」の人々のために何かしてくれた? いったいどういう義理があって「都会の人々」は「田舎の人々に「癒してもらえる」と思いこんでいるんだろう。どうして「田舎」である、それだけの理由で、初対面の芸能人を泊めてもてなしてあげなきゃいけないんだろう。


田舎ってそんなに癒される場所だろうか。「ニッポンの原風景」だろうか。「どこか懐かしく優しい場所」だろうか。素朴だろうか、温かいだろうか。


働く場所もなく気晴らしの遊び場もなく、一歩外へ出れば全てが顔見知りという閉塞空間のなかで悶々としている若者。親類縁者のしがらみの中でひたすら「イエ」に縛り付けられる「ヨメ」たち。彼女たちには老人介護という重い課題も突きつけられている。過疎化・高齢化のなかで、慢性的な後継者不足に悩まされ続け、将来の見通しが全く立たない疲弊しきった農業や地場産業。行政サービスの末端でどんどんスポイルされていく「素朴で優しい」田舎の人々の鬱屈した思いは、いったい誰が気づいてくれるんだろう。誰が癒してくれるんだろう。


都会の都合だけで、お手軽な「自動癒され装置」にされてしまっている辺境の農村の暮らし。そこ住んでいる人々は、都会の人々が思っているほどのんびり暮らしていないと思う。むしろある意味、都会よりずっとずっと切迫した思いを抱えて生きているんじゃないかなあ。癒して癒して〜と甘えるのもいいけど、それはビジネスでやってるんだからね。あんまりなめない方がいいよ。