昭和の歌姫

美空ひばり

NHK美空ひばりの特集番組をやっていたので思わず見てしまう。私の母は美空ひばりの大ファンだったので、彼女が死んだときは、一日中テレビを見ながら泣いていた。子どもの頃学校でひばりの曲を口ずさんでいたら、同級生に「先生、あの人流行歌を歌っています」と告げ口されて、罰を受けた思い出があるという。当時、「学校内で流行歌を歌ってはいけません」という規則があったんだとか。

私は、母が口ずさむ以外に美空ひばりに親しむ機会はほとんどなかった。たまにみる特番や懐メロ番組などで彼女の歌を聴いて、いやいや、プロだなあと感心はしていたが、1970年生まれの私には、ひばりの感性も生き方もまったく圏外、といった感じで、「美空ひばり=おっちゃん、おばちゃんのスター」というくらいの認識しかなかった。

しかし、今回じっくりと彼女の歌を聴いてみて、いわゆる演歌歌手でもなく、「アーティスト」でもない、ほんものの「歌手」なんだなあとつくづく感じ入った。「哀しい酒」という歌を歌うときは毎回毎回必ず感極まって涙を流す。大粒の涙をぽたぽた流しながらも、声量は安定したまま。何百回、何千回と歌っている曲で、毎回同じように感情移入できるのはすごい。(母は美空ひばりが「哀しい酒」で泣くのを見るたびに「あれは小林旭を思い出しているのよ」と言っていた(笑))

今回、とくに感激したのは「リンゴ追分」の間奏部分のセリフ

おらあ、あの頃、東京さで死んだ おかあつぁんのことを思い出して
おらあ......おらあ......

のところで、思わずぐっと来てしまった。そしてもっと感動的だったのが、このセリフの後に客席からわき上がる満場の拍手だった。ひばり世代とはまったく畑違いの私ですら、客席にいたらきっと拍手していただろうと思った。それほど圧倒的。年齢や好みを超越して人の胸を打つ力を、彼女の歌声は持っている。


美空ひばりが死んだのは石原裕次郎手塚治虫などいわゆる「昭和の巨星」が相前後して死んだ時期でもあった。ありとあらゆるものが細分化され、専門化される現在。裕次郎やひばりのように多くの人々に「共有されるスター」というのは、もう出てこないかもしれない。