アップデート

5月10日、私が旅行に出かけるまで、テレビのチャンネルというチャンネル、新聞の記事という記事は、すべて福知山線脱線事故の話題で埋め尽くされていた。犠牲者の1人1人の「無惨に断ち切られたかけがえのない人生」「明暗を分けたあの瞬間」「遺族の涙と怒り」「JRのずさんな対応」「事故直後に宴会をしていた不謹慎な職員」etc、etc......。何を見ても聞いても、誰もがこの事件に対してああだこうだと意見を述べ、怒ったり、同情したり、嘆息したりしていた。私も、ニュースやワイドショーのコメンテーターと一緒になって、怒ったり、同情したり、嘆息したりした。


すべてのメディアが「悲嘆にくれる遺族」の代弁者になったかのように、「JR西日本」という絶対悪に対して、ありとあらゆる悪罵をこれでもかこれでもかと投げつけていた。そして、そんなメディアの状況に対して、また誰もが、なんだかんだと意見を述べ、大小様々な議論がわき起こった。メディアで語る人々、語るメディアを語る人々。誰もが、早口で大声だった。私も必死で聞き耳を立て、回らぬ舌でナニゴトかを言おうとしていた。


この悲惨な事故を中心にすべての物事が動き、すべての人の関心がこの事故に集中しているかのような、ほの暗い熱さがある数週間だった。私は、一日の大半をその事故のことを考えて過ごしていた。


一週間の旅行の間、新聞ともテレビともネットとも隔絶して、ひたすら旅行だけを楽しんだ。ホテルの部屋で髪を乾かしながら、異国の言葉で語られる意味のとれないテレビを見、読めない新聞を眺めただけ。朝から晩までガイドブックと首っ引きで、歩いて、見て、食べて、飲んだ。毎日くたくたになるまで遊んだ。福知山線の事故のことなんか、ちっとも思い出さなかった。


一週間の旅行を終えて帰ってくると、メディアの主役は「直立するレッサーパンダ」と「謎のピアノマン」になっていた。よたよたと立ち上がるレッサーパンダと、怯えた表情の「ピアノマン」の映像を一日に何度も眼にする。犠牲者と遺族の悲しみと怒りを代弁するかのように沈鬱な表情で語っていたニュースキャスターが、コメンテーターが、新聞記者が、2週間後には、レッサーパンダの愛らしさにほほえみ、ピアノマンの謎に思いをはせる。あの事故の時とはまったく違う、のどかな空気が漂っている。


もう「悲しみにくれる遺族」も、「断ち切られたそれぞれの人生」も「JR西日本の非道」も、はるか過去に押しやられたように感じる。脱線事故? そうか、そんなこともあったかねえ? それより、見た? あのレッサーパンダ? かわいいよね。ピアノマンっていったい何者なのかしらね? それにしても彼、ずいぶんイケメンよね?


でも、これでいいのだ。これが世の中というもの。いつまでもあの事故にこだわり続けるわけにはいかないもの。世の中は動いているんだから。私だって、脱線事故のことなんか、もうすぐ忘れる。思い出しもしなくなる。


でも、ふと、奇妙な感覚にとらわれる。あのときの、あの熱に浮かされたような怒号や涙はいったいなんだったのかしら? と。あの時のあの熱は、もうどこにも残っていないのかな? もう終わってしまったことなのかな? 


悲劇も喜劇も、戦争も平和も、ものすごい勢いでアップデートを繰り返していく。乗り遅れまいとバージョンアップを繰り返す私。そのスピードが、ときどき、ほんとにときどきだけど、とても怖くなる。不安になる。いいのか? これで?