私とピアノ

のだめカンタービレ」にはまって以来、朝な夕なにクラシック音楽のCDを流し続けている単純明快なワタクシ。しかし、のぼせやすいのは私だけではないらしく、こないだ近所のCDショップに行ったら、「のだめ」コーナーが特設されていて、各エピソードに登場するCDの数々をまとめて陳列していた。さすが商魂たくましい。「のだめ」経由でにわかクラシックフリークになったのは私だけではないと知ってちょっとホッとしたわ。んもう、みんな、わかりやすすぎなんだから〜。


そういえば、オットが映画「スウィング・ガールズ」を観た翌日にYAMAHAの「大人のサックス教室」の門を叩き、週に一度のレッスンを続けてもうすぐ一年になる。「どうよ、最近、サックスの方は?」と訊くと、「ドーレードーレード」の音がキレイに出るようになったとか、「今まで一音階ずつあがっていったのが2音階ずつあがれるようになった」とか言っている。一年もやってるんだから、すでにチェッカーズの尚之くらいにはなってると思ってたのにまだそのレベルかよ。映画のスウィング・ガールズ達は、3ヶ月の特訓でプロ顔負けの演奏をしてたぜ? やっぱ才能ないのかもね〜。時間とお金のロスアンジェルス〜。などとせせら笑っていたのだけど、ここに来て、私の方もただ漫然とCDを訊くだけでは飽き足らなくなってきました。つーか、何度も何度もクラシックのCD、特にピアノ曲を聴いているうちに、「ひょっとして私もこれくらい弾けるんじゃないかしら?」とか思えてくるんだな、これが。


そりゃあ、超絶技巧のジャカジャカジャーン!ってヤツは、あれはプロ仕様だから無理ぽだけど、「乙女の祈り」とか「別れの曲」あたりだったら、ちょちょいと練習すればらりらり弾けそう。いや、弾けるどころか、かなり上手そう。つか、けっこう才能あるかも私? 


いや、私、生まれてこの方両手を使って演奏できる曲は「猫ふんじゃった」だけだけど、それは、幼い頃に私の可能性にいち早く気づき、訓練し、開花させてくれる師匠と出会わなかったせいだと思うのよ。ほんとはまだ誰も気づいていないだけで、実はすんごい才能の持ち主かも? ほら、のだめだって、最初は落ちこぼれ学生だったけど、見る目のある人に見いだされて才能を開花させたんじゃないか。


それから、私の才能が開花しなかったもう一つの要因は、芸術に無理解だった家庭環境にもある。そう、そう、そうだった! 思い出したぞ! 世界の一流ピアニストになるはずだった私の無限の可能性の芽をつみ取った諸悪の根元、それは母! 母だった!


私は小さい頃からピアノに憧れていた。いつも合唱コンクールでピアノ伴奏していた大城美奈子ちゃんみたいになりたくて、黒いアップライトのピアノが欲しくて、せっせとお年玉を貯めていた。とは言うものの、ピアノは何十万もする高級品。まだガキんちょの私のお年玉ごときでは目標金額に達するまで何十年もかかってしまう。でも、私はけなげにお年玉を貯め続けた。いつかピアノを買うんだ、黒いベルベットのワンピースを着て合唱コンクールで伴奏するんだ、と夢で胸をふくらませて。


ふつーさ、子どもが自分から進んで「ピアノが習いたい」「ピアノが欲しい」と言い出して、一生懸命お小遣いを貯めている姿を見たら、たいていの親ならさ、「んまあ、この子ったらそんなにピアノが欲しいのね」「音楽が好きなのね」とか感じ入って、ある日私が私が学校から帰ってきたら


「お帰り、とこり、応接室に行ってごらん」
「え? なあに?」
「うふふ。とこりがびっくりするプレゼントよ」
ガチャ(応接間のドアを開ける)
「うわー! ピアノだ!ピアノだ!」
「ほほほ。あなた、あんなにピアノに憧れていたものね。さあさあ、しっかりレッスンして、早くママにピアノを弾いて聴かせてね」
「ありがとう、ママ!」
「ほほほ。今日の晩ご飯はママお得意のチキングラタンよ」
「わーい!ママ大好き!」


てな展開になってもいいんじゃないかと思うデスよ。ちなみにワタクシ、母のことをママと呼んだことはありません。うちの母の得意料理はゴーヤーチャンプルーでしたが、そこはほれ、演出ってことで。


しかーし! 


「ピアノを弾きたい」という幼い私の健気な夢を、いったいどうしたと思います? 私がリカちゃんのおうちも、着せ替えも我慢して貯めていたお年玉、うちの母はこともあろうに横領したですよ。
そして、私のピアノはこれに変身してしまったですよ。



墓ですよ! 墓! よりによって! 


そりゃあ、墓は大事だけどさ! うちの父は長男だけどさ! なにも私のなけなしの貯金にまで手を出すこたないじゃないか! しかも、その墓、私は入らないのに! 


こうして、ご先祖様を心から敬い、数多くの行事を墓で執り行うウチナーンチュの強固な民族性は、少女のピアニストへの夢を無惨に踏みにじり、私の芸術への憧れ、可能性は、墓なく、もとい、はかなく消え去ったのだった。この墓さえなければ、私は今頃内田光子アルゲリッチも裸足で逃げ出すスーパーピアニスト。ここでこんなヘボいblogなんか書いてないで、今日はロンドン、明日はパリと飛び回っているはずだったのに......うううう......。


Σ(゜□゜;
暗い過去を思い出してしまい、ついつい長くなってしまった。私とピアノについてほんとに書きたいことはまだ別にあるんで、また次回。あ、いや、大したこと書くわけじゃないんですけど。