候補者の妻たちへ

衆議院解散。誰かが「八つ当たり解散」と言っていたけど、まさしくそんな感じ。解散直後の小泉首相の会見は、目が完璧に「イっちゃってる人」になっていた。もう、だれも御しきれないんだろうなあ。


少ない準備期間で先の見えない選挙戦を闘うセンセイたちは、今頃東奔西走で大忙しだろうけど、なによりも、誰よりも大変なのは代議士の妻たちだろう。コイズミの「八つ当たり」のとばっちりを被っているのは、間違いなく彼女たちである。前回の選挙から2年も経っていないのにまた選挙。ほんとにもー、勘弁してくれよ、冗談じゃないわよ! と地団駄ふみたい気持ちだと思う。わかるわー、気持ち、ホントにわかる。


私の父は、沖縄県の小さな自治体の地方議員をしている。議員の中ではかなり古株の方で、いわば選挙のプロである。代議士選挙と地方議員の選挙とでは規模は全然違うけど、規模がでかい選挙ならでかいなりに、小さい選挙なら小さいなりに違う種類の修羅場があるのだ。どちらの修羅場も壮絶である。ほんとに、ほんとに、ほんとーーーーに、選挙は大変である。修羅場である。まともな神経では闘えない。一回一回の選挙があまりにもしんどいので、4年で任期が切れて次の選挙を戦う時期になっても「え? もう?」という感じだ。


いったん選挙戦に突入したら候補者はそりゃ大変だ。関係各所に挨拶回りに出かけ、動いているモノは犬でも猫でも頭を下げ、電信柱にさえ手を振ってしまう。一日に10回も20回も同じ演説をし、こめかみに青筋を立てながら「親しみやすい笑顔」を振りまいて握手・握手・握手。しかしそれ以上に大変なのがその妻達である。


お金の管理や、人員配備、ひっきりなしに訪れる来客への応対、その合間を縫ってお茶を煎れたり、食事の準備をしたり、電話を受けたり、夫の演説会についていって頭下げたり。目立ちすぎると反感買うので、あくまでも控えめに、それでも締めるところはしっかり締めて、四方八方に気を配る。支持者層も一枚岩ではない。中には出しゃばってあれこれ口を出してくる困ったちゃんもいるし、分からず屋もいる。すべての人に感じよく、愛想良く振る舞わなければならない。心ない中傷も受ける。朝から晩まで緊張の連続。さらに、候補者に倒れられては元も子もないので、夫の健康管理もしなければならない。もちろん、夫より先に妻が身体をこわすなんてもってのほかである。頑強な身体と精神をもって、最後の最後まで夫を支えなければならない。はっきり言って候補者本人より数段ハードである。


まがりなりにも主義主張があって、世の中に出て訴えたいと思っている候補者は、選挙もやりがいもあるだろうけど、例えば私の母などは、政治的にはまったくのノンポリでありながら、なにがなんだか訳がわからないうちに「候補者の妻」になってしまったというパターン。自分の家族と生活を守るために、否が応でも夫と一緒に選挙を闘う羽目になってしまったのだ。人前に出るのなんかまっぴらごめん。誰にも気を遣わず、のんびりと静かに暮らしたいと思っているのに、大勢の人の前に出て、頭を下げたり、あれこれ気配りしたり、神経を張りつめっぱなしの毎日である。


それでも、めでたく当選できればまだ報われる。落選したりしたらそりゃもう悲惨である。ダメージは候補者以上だ。選挙が終わってがっくり来て、そのまま身体をこわして長患い、という奥さんの話はしょっちゅう聞いたし、プレッシャーに耐えかねて離婚、という話も珍しくない。



私は、そういう家庭環境に育って、すさまじく苦労している母を身近に見てきたので、その大変さが骨身に染みてわかるのだ。


私は、どんなにお金を積まれても、どんな地位が約束されていようとも、絶対に絶対に「候補者のツマ」はイヤだ。断固、イヤだ。まさかそんなことはあり得ないと思うけど、この先、何かの星の巡り合わせで、オットが「候補者」になるようなことがあったら、死ぬ気で止める。


コイズミの暴走のおかげで、候補者の妻たちはまたまた修羅場である。ほんとならあと2年も任期があったのに。前の選挙の疲れもまだ癒えていないはずだ。この選挙でいったいいくらの金と労力がムダになることか。まったくはた迷惑な首相だ。私は、自分の主義主張・党派を超えて、「候補者の妻」たちには等しく同情し、共感する。ほんとうに、お疲れ様。頑張れよ。あと、数は少ないけど「候補者の夫」たちもお疲れ様。頑張れよ。