永訣の朝

早朝、隣でがさがさ身動きする音で目が覚めた。見るとオットが土気色の顔でうんうん唸っている。「どうしたの?下痢?」と聞くと、「いや、下痢ではない......いままで......経験したことのない痛み......」と息も絶え絶えな様子。びっくりして「救急車呼ぼうか?」と聞くと、「そうして......」と言う。これはただごとではない。泡食って119番。えーと、何か準備するものは? 保険証と、ケータイと、上から羽織る上着と......と、すっかり気が動転して、あっちの引き出しをひっくり返し向こうのタンスをかき回し、と身支度をしていると、オットが「お湯を沸かして......」と言う。
「お湯? 温湿布でもするの?」
「いや......髪の毛......寝癖ついているから......蒸しタオルで直す......」
アホか! いまから救急車で運ばれるっていうのに寝癖なんか気にしてる場合かよ! と、じたばたしているうちに救急隊が到着。担架で救急車に乗せられて近所の救急病院へ。マンションの正面玄関で目をまん丸にして担架に乗せられたオットを見つめている階下の奥さんとすれ違ったけど、とても事情を説明する余裕はない。


最初の頃はまだ寝癖を気にする余裕があったオットだが、時間が経つにつれて痛みが激化してきたらしく、顔色がますます土気色になり、手足から血の気が引いて氷のように冷たくなっている。唇をギリギリ噛みしめて時折「うううーーん......」とうなり声。普段はかなり我慢強いオットが、苦痛に顔をゆがめて悶絶している。私はなにがなにやら訳がわからず、ただおろおろするばかり。病院に到着してからもオットの痛みはどんどんひどくなり、マジでもうダメかと思った。


苦しい息の中で「お願い、みずちょうだい......」と訴えるので、急いでコップに水をくんできてあげたら「痛くて飲みこめない......」と言う。ああ、オットかわいそう。水も飲めないほど衰弱しているなんて......と、不憫で泣きそうになりながら、脱脂綿をもらってきて水をしみこませてかさかさに渇いた口の中をしめらせてあげた。思わず宮沢賢治「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」のフレーズを思い出した。
「けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの オットよ」
ああ、これがオットと私の永訣の朝なのかも......よよよ......・゜・(ノд`)・゜・
せめて最期を看取ってあげよう、少しでも痛みを和らげてあげようと、涙をこらえながらオットの手を取ってさすっていたら、いままで虫の息だったオットが首をもたげて
「お願い、さわらないで......」と言う。
ガ━━(゚Д゚;)━━━ン 
も、もしやこれがオットの遺言??


あわただしく採血・レントゲン・採尿・CTと続けざまに検査をした結果、担当医は「尿管結石ですね」と言う。
え? こんなに苦しがっているのにただの結石? 結石ってアレでしょ? ビール飲んで縄跳びしたら出てくるっていう、あの結石? この尋常でない苦しみようからして、盲腸とか腸捻転とか内臓破裂とか、とにかく一刻を争う重篤な病気だと思っていたのに? といささか拍子抜け。
「今痛み止めの座薬を入れましたので痛みはそのうち収まると思います。あとは内服薬を出しておきますので今日はそのまま帰ってもけっこうですよ」とのこと。帰ってもけっこうって、オットの激痛はまだ続いていてうんうん唸っているのに? この医者、ヤブなんじゃないの? と信じられない気持ち。


しかし、一時間くらいするとちょっとずつ落ち着いてきた。 顔に赤みが戻ってきて、目をぱちくりさせて「今日土浦で仕事が入っているんだよ。遅れるって電話しなきゃ」と仕事の心配をする余裕も出てきた。回復、はやっ。


30分もすると嘘みたいに痛みがひいた。息もできない、寝返りも打てない、水も飲めないという苦しみようだったのに。なんだったんだあの騒ぎは。担当医によると、入院の必要はなし、今後は内服薬としばらくの通院で対処、食事も特に流動食にしたりする必要もなし。普段どおり生活していいとのこと。尿管結石って激痛の割には治療らしい治療はしなくていいらしい。 なんと人騒がせな病気なんだろう。


搬送されて2時間後、すっかり痛みが引いたので帰ることにした。病院から我がマンションまでは徒歩5分だけど、大事を取ってタクシーを呼ぼうとしたら「もったいない! 歩くよ!」と言う。出た、ドケチ主夫! おとなしくタクシー乗ってろよ、急患なんだから。


結局歩いて帰って、それから一時間後には「どうしてもキャンセルできない仕事だから」と、オットは自ら車を運転して土浦の仕事に出かけていった。 朝、救急車で病院に担ぎ込まれた人間が、昼過ぎには自分で車を運転してもいいのだろうか。てゆうか、朝すれ違った階下の奥さんに見られたらバツが悪いよなあ。


あとで尿管結石について調べてみたら、

尿管結石は七転八倒の苦しみで起き上がれないほど痛く、脂汗を流して苦しむといわれています。第一回目の痛みの発作は突然襲うことが多いようです。突然襲う激痛であわてて救急車を呼び、病院に担ぎ込まれることになります。しかし、病院に着いた頃には痛みがなくなっていることもあります。

とある。おお、オットは典型的ではないか。とにかく痛くて有名な疾患で、妊婦の陣痛にも匹敵する苦しさだとも言う。同じ病気になった方の体験記によると、こーんな石が詰まってるんだもん、そりゃ痛いはずだよなあ。


食事も生活も普通にしていてよいというので、今日の夕食は昨日からの予定どおりカレーにした。私は美容室にも行って髪を染めてきた。結局終わってみればいつもと変わらない穏やかな夕餉。今朝の騒ぎが夢のようだ。しかし、カレーって、結石的にはどうなんでしょう? ちょっと刺激が強すぎたかしら? 石を溶かすために米酢でも飲ませようかな。


とにかく大事に至らなくてホッとしましたよ。あとでオットに
「あんまり痛がるから手を握っていてあげようしたら『さわるな!』って言われたよ」
と愚痴を言うと
「だって、ほんとに手をさするだけの振動でもガンガン響くくらい痛かったんだもん」ということだったらしいけど、私、傷ついちゃったなあ...... 結石が作った夫婦の深い溝。
( ´・ω・`) ショボーン