「美ら島」の悲哀

数年前に放送されたNHKの連ドラ「ちゅらさん」をきっかけに、沖縄の観光ビジネス界では「美ら(ちゅら)」が大ブームです。美ら海 美ら島 美ら空 美ら山 美ら塩 美ら沖縄そば 美ら泡盛 美ら水......なんでもアタマに「美ら」さえ添付すれば沖縄名物の一丁上がりです。しかし、私の記憶にある限り、ウチナーンチュが「ちゅらちゅら」言い出したのはここ数年のことです。私の両親は生粋のウチナーンチュですが、「ちゅら」なんて話しているのを聞いたことはありません。「ちゅら」というのはもともと古い琉球方言で、本来は「清ら」と表記します。きちんとした方言を話せるかなりのお年寄りか民謡の中くらいにしか出てこない言葉だったのです。現在流通している「美ら」は、ウチナーンチュの生活に密着している真の言葉ではなく、観光客限定で発せられるコマーシャルコピーです。


昨今の沖縄ブームの盛り上がりで、沖縄の民俗芸能や料理、サブカルチャーなどがさかんにもてはやされています。しかし、ほんの十数年前まで、沖縄出身だということはむしろコンプレックスでした。沖縄の文化に対する世間の認知度もほとんどなかったし、電車も走っていない、テレビのチャンネルも少ない、流行のどん詰まりにある「未開の地」という印象でした。長い米国支配の歴史や広大な米軍基地の印象からか、「沖縄の人は英語を話す」と信じていた人も少なからずいました。私などは自分が沖縄出身であることにそうとう引け目を感じていて、「こんな田舎イヤだ!」と毎日毎日思っていて、本土に住んでいる親戚の家に遊びに行ったときには「え〜、うっそ〜、ほんとに〜」と必死になって標準語を話していたものです。


それがいまや「楽園・沖縄」「美ら島・沖縄」ですよ。サンシンや琉球舞踊などの民俗芸能、織物や焼き物の工芸品なども、すべて本土の人に「よりウケるため」に、沖縄のエキゾチックな面をやたらと強調したものばかりになってしまいました。さあさあ、これが沖縄の美らサンシン、美ら舞踊、美ら織物、美ら焼き物ですよ〜とさかんにPRして、最後には必ず「だから買ってくださいね〜」がくっついているのです。伝統文化も工芸も全てのベクトルは本土にむいているのです。


私の父などは、この美らブームを非常に苦々しく思っていて、「作品」ではなく「おみやげ」ばかりを作りたがる人々を称して
「アフリカの原住民が、普段はパソコンやエアコンに囲まれて現代的な生活をしているくせに、観光客がやってくるとあわてて服を脱いで腰ミノをつけて踊り出すようなものだ」と言っていました。


かつてない盛り上がりの沖縄ブーム。「沖縄っていい所ね〜ああいう所に移住したいわあ」と憧れて、お金を貯めて移り住んできた人々。自分の故郷が他県の人々に愛されるのは、確かにうれしいことです。


けれど、沖縄は最初から「楽園」として存在していたのではないのです。中国や薩摩に長い間支配され、近代以降は無理矢理日本国に組み込まれ、本土の「捨て石」となって血で血を洗う過酷な地上戦の現場になり多くの犠牲を出し、やっと戦争が終わったと思ったらアメリカに支配され、なんとかかんとか復帰はしたものの、戦争の置きみやげである米軍基地(日本全土の米軍基地の実に75%が沖縄に集中している)はそっくりそのまま残っています。失業率は全国一だし、離婚率も高い、県民所得は最低レベル。島の実情はとてもとても「美ら島」「楽園」どころではありません。


しかし、「美ら」ブームには、そんな沖縄の悲惨な過去も辛い現状も、きれいさっぱり漂白されているのです。「明るくたくましいおばあ」の笑顔の裏には、家族を戦火で喪ったたくさんの涙が隠れているのに。サンシンや舞踊は、貧しく辛い生活を乗り切るための数少ない娯楽の一つとしてウチナーンチュの生活を支えてきたものだったはずなのに。


でも、そんなネガティブな部分は、おみやげとしては不向きなのです。高く売れないのです。まともな産業が観光しかない、慢性的に貧しいウチナーンチュは、本土の人に向けて「美ら島」をアピールすることでしか生き残れないから、「すてきだわ〜楽園だわ〜」と目をハートにしている観光客の前で「でもね......」と言いたい気持ちをぐっとこらえて「美ら美ら」言っているのです。


楽園楽園ともてはやされる割に、沖縄が抱える根本的な問題に親身になって考えてくれるナイチャーはごく少数です。沖縄戦のことも米軍基地のことも、何にも知らずに、知ろうともせずに、ただただ「美ら」な面だけをつまみ食いして、満足して帰っていく人がほとんどです。2年前の夏、宜野湾市の中心部にある沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落しました。琉球新報沖縄タイムスの県主要紙はそろって号外を打ちました。本土の主要紙も号外を打ちました。ただ、本土紙の号外の中身は「ナベツネ辞任」だったのですが。


ナイチャーの夫を持ち、本土生活15年以上になる私の立場は、観光客とさほど変わらないのかもしれないけど......、それでも、沖縄に帰るたびに、街中至るところに氾濫する「美ら」という言葉に、言いようのない違和感を感じてしまいます。沖縄って、ずいぶん都合のいい「楽園」なんだなあ。そのうち「美ら不況」「美ら失業率」「美ら低所得」「美ら離婚率」「美ら米軍基地」「美ら米軍犯罪」「美らヘリ墜落」「美ら思いやり予算」とか作って売り出せばいいのに。