闇の中の自己主張

バイトもないし、さしあたってやらなければならない用事もない、人と会う約束も、どっかに行く予定もない。朝食作って、洗濯して掃除して、おやつ作って、昼ご飯作って、お茶入れて、ぼーっとネットしたりテレビ見たりしてたら夕ご飯。今日は結局キッチンとPCの前だけで終わってしまった1日だった。

バイトをやめて最初の頃は、空いている時間が長いと、ひどく不安になって、何かしてなきゃ、早く新しい仕事先探さなきゃ、と焦ったりしたのだけど、私はどうも根が怠け者らしく、こんな風にだらだらと過ごす日々が一ヶ月も続くと、焦る気持ちもきれいさっぱり抜けてきた。身も心もダレてきて、どんどん無気力になってくる。一日中家にいてぼーっとしていても、なんら痛痒を感じない。いかんなあ、いかん。ニートだよ、これじゃ。

というわけで、だらけた自分にカツを入れるために2年前に書いた日記を再掲します。

行きつけの美容院でカットしてもらいながら、担当美容師さんと雑談。「最近バイト始めたんだよね〜」という私の言葉をきっかけに話の流れは「これまでしてきたバイトの数々」というテーマに。
 
「僕は高校生の頃から4年くらいずーっと同じバイトだったんですよ。だから、あまり職種はこなしていないんですよね」
 
「お、一意専心タイプ? 4年ってすごいね。どこで働いていたの?」
 
「水戸のタイル屋さん」
 
「へえ〜、こりゃまたユニークな」
 
「最初は荷物運びとか片づけとか、パシリ専門だったんですけど、4年も続けていると、けっこう信頼されるようになって、最後の方はかなり本格的なこともさせてもらいましたよ。ホラ、水戸芸術館あるでしょ?」
 
「うんうん。よく行くよ。先週も行ってきたばかり」
 
「あそこのホールの正面にでっかいパイプオルガンがあるでしょ、あの背面の壁のタイル、全部僕が貼ったんですよ」
 
「へえ〜(と「へぇボタン」を押す仕草4回ほど)、あそこのパイプオルガンって有名じゃない? かなり名の知れた演奏者がコンサート開いたりするでしょ。すごいね、あそこの壁のタイル貼ったんだ」
 
「あそこ、すごく印象に残ったんですよ。なんか、建築家がそうとう凝った人だったみたいで」
 
「世界の磯崎新だもんね」
 
「そんな有名な人なんですか? よく知らないけど。それで、そこのタイルってのが普通のヤツと違って、素材がすごく特殊で、とにかくやたら重いんですよ。なんど下地を塗っても塗ってるそばからはがれ落ちゃって。えらい苦労しました」
 
「さすが、イソザキ。タイルも一筋縄じゃいかないのね」
 
「で、なんとかかんとか仕事が終わって、最後の一枚を貼るときに、これ、親方にばれたら怒られるかもしれないけど、タイルの裏に自分の名前を書いてこっそり貼っちゃったんですよ。苦労した記念だ!って思って」
 
「へえ〜。じゃあ、今度芸術館に行ったら、パイプオルガンの背面壁、じっくり見てみるよ。『ああ、ここのタイルは、毎月私の髪を切ってくれた美容師さんが若い頃に頑張って貼ったタイルなんだなあ』って、『この中のどれかにあなたの名前が書いてあるんだなあ』って思いながらつくづくと」
 
「いや、そんなこと思わなくていいですけど。そういや、あの仕事以来、水戸芸術館に行く機会ってないなあ。。なんか懐かしいな」 
 
 
彼の話を聞きながら、映画「みんなの家」に出てきたある場面を思い出しました。大工さんと建築家が東大寺南大門に遺されていた墨壺の話をする場面です。
 

長一郎 「南大門って知ってるか?東大寺の」

直介 「ええ、東大寺
 
長一郎 「これは、大工の間では有名な話なんだけどよ。あの柱の上から墨壺が見つかったんだ。その柱を作った大工が、『この門は俺が作ったんだ』ってそこに置いたんだよ」
 
直介 「へー、画家のサインみたいなもんですかね」
 
長一郎 「馬鹿野郎、それじゃ誰にでもわかっちまうじゃねぇか。そうじゃねぇ。それを知っているのはたったの二人だけ。作った大工と神様だけなんだ」


三谷幸喜監督「みんなの家」より


この墨壺は東大寺南大門建立から何百年も経った後の修復工事のときにみつかったらしいのですが、後世の人々によって発見されるまでの長い長い間、その墨壺に込められた、いにしえの名もなき大工さんの自己主張は、闇の中でひっそりと眠ったままだったのです。
 
そういえば、昔の洋裁職人の中には、出来のいい背広の襟芯にこっそりと自分の名前を書いた、なんて人もいたというエピソードも聞いたことがあります。
 
「問題です。法隆寺を作ったのはだれでしょう?」
聖徳太子
「ブー! 大工さん」
 
というなぞなぞがありますが、実際のところ、彼ら職人の確かな技術と地道な作業なくして東大寺水戸芸術館もできなかったわけで、一番現場で汗を流しているのは、彼ら職人さんたちなのです。

しかし、芸術館を設計した建築家や東大寺を作った政治家の名前は長く語り継がれても、タイルを貼ったり、カンナをかけたりした、職人たちのことにまで私たちの考えが及ぶことはあまりありません。
 
でも、彼らはそれでいいのです。表だって評価されることはなくても、タイルの裏に名前を書いたり、人目につかないところに墨壺を置いたりという、「こっそり」とした自己主張が、彼らの自分の仕事に対する誇りとプライドを物語っています。名前は残らなくてもいい、オレは、この仕事を、きちんと丁寧に、最後まで立派に仕上げたんだから――という、彼らの闇の中の自己主張。いやあ、なんか、シミジミしちゃいますねえ。
 
自分の仕事に誇りがあれば、ことさらに声を大きくしなくても、それがタイルの裏だったり、襟芯だったりしても、「ああ、自分は立派にこの仕事をやり遂げた」と思う気持ちだけで、十分満足できるものなのでしょう。
 
この「こっそり」っていうのが重要なんだよね。ともすれば「見て見て! 聞いて聞いて! 私が! 私が!」と前に出ることばかり考えている私には、なかなかマネのできないことです。
 
私たちには見えないけど、東大寺の墨壺のように、裏に名前の書かれたタイルとように、そういう闇の中にひっそりとたたずんでいる職人さんたちの自己主張が、私たちの周りにはあふれているのかもしれません。
 
あと何十年か経って、水戸芸術館が修復されるときには、彼の名前が書かれたタイルが見つかるのでしょうか? 見つからなくても、彼は全然かまわないと思うけど。

この話をしてくれた美容師さんがいた美容室は昨年潰れちゃったんだよなあ。カキヌマさん、元気かしら?今もどこかの美容室で頑張っているのかな?
うん、こうしちゃいられないな。私も頑張ろう。とりあえず、明日はジムに行こう!(←なんかビミョーに違う......)