「モスライスバーガーカツカレーについて」

最近日記がネタ切れ気味なので、mixiで「お題頂戴」と募集をかけたところ、「モスライスバーガーカツカレーについて」というお題をいただきました。よし、書くぞ。


私の父親は戦中生まれのクセして子どもが食べるようなジャンクフードが好きだった。
日清焼きそばUFO、ボンカレーに入っているジャガイモ、サバの水煮缶、そしてモスバーガー


地方議員という職業柄、表では終始ニコニコぺこぺこしてなければならない反動なのか、家の中での父は口数も少なく、滅多に笑わず、子どもを連れての外食とか、天気のいい日は家族でピクニック、などといったイベントとはまったく無縁で、クリスマスや誕生日などのパーティー・プレゼントなどにも一切興味なしという、徹底した非マイホームパパであったが、例外的によく買ってきてくれたのがモスバーガーだった。


モスバーガーが沖縄に出店したのは私が中学生3年生の頃だったと思う。どういう経路で父がモスバーガーの味にハマったのかは定かではないが、とにかくかなりお気に入りで、何かというと買ってきてくれた。飲み会や会議が多い父の帰りはいつも深夜になったが、帰り道に国道329号線沿いのモスバーガー国場店(深夜営業していた)を通りかかると、必ず立ち寄ってテイクアウトした。そして、当時、高校入試に向けて受験勉強をしている私の部屋にやって来て「、ホラ、食え」と言って、ほかほかと湯気の立つモスの紙袋を渡してくれた。そして自分は、階下の座敷で、一人でお茶を煎れてテレビを見ながら黙々と食べていた。


母も弟妹も寝静まった深夜、勉強机の上で、口と指先をソースでべっちょり汚しながらかぶりつくモスバーガーの味は格別で、自分一人がえこひいきされているような、父と秘密を共有しているような、妙な優越感があった。ただし、夜食にするにはモスバーガーはかなりヘビイで、すっかり満腹になって受験勉強もそこそこに寝てしまうことが多かった。現在の私の体内にどかんと居座っている脂肪の多くはあの時期に形成されたものだと思う。


父は、「モスバーガーは『照り焼きチキン』に限る」というのが持論で、いつもいつも袋の中身は照り焼きチキンバーガーだった。一度間違えて「照り焼きバーガー」を買ってきて、「なんだこれは! 照り焼きチキンじゃないじゃないか! あああ〜間違えた〜!」とかなり本気で悔しがっていたのを覚えている。お父さんも無邪気なところがあるんだなあと、普段は近寄りがたい父にほんの少し親近感を覚えたものだった。


「最近の成績はどうなんだ?」とか「どこの高校を受けるんだ?」など、私の近況を訊ねることなど一切なく、長女の高校入試なぞどこ吹く風といった風情の父であったが、ちょくちょく買ってきてくれた「モス照り焼きチキンバーガー」の袋のぬくもりを思い出すと、父も父なりに私のことを気にかけてくれたんだなあと思う。普段クールな父親を演じている分、今さら「受験、頑張れよ」なんて照れくさくて言えなかったんだろうなあ。ハンバーガーという、どことなく子供じみたものが好物だった父と、照れ屋で感情表現がへたくそな父、今思い返すと、そんな父がなんだかとても愛おしい。


あ、これは「モス照り焼きチキンバーガー」について、でしたね。「モスバーガーカツカレー」なんてのが出てるんですか。そりゃ名前を聞くだけで食べづらそうですね。モスバーガーはいつも思うのですが、ホント、食べづらいです。汁気が多すぎ。食べ終わった後に、あの三角形のラッピングの底に刻んだタマネギやらケチャップやらマヨネーズやらが渾然一体となったソースがたまっているじゃないですか? あのソースがもったいなくていつも胸がかきむしられます。牛丼屋で「牛皿」と「ご飯」がセパレートになっているように、モスバーガーでも「パン」と「具」をセパレートで出して欲しい。あるいは、メニューに「ライス(S)150円」というのを作って欲しい。底にたまったソースをライスにかけて食べるのだ! やっぱり最後はライスよ。白米ラブ。