「安さ」の種類

少し前のことになりますが、知人から「私の知り合いが今度小さな食堂を始めたのよ。オープンしたばかりですごく忙しいみたい。平日のランチタイムだけでいいから手伝ってみない?」とアルバイトを紹介されました。ちょうど時間も空いていたし、金欠気味でもあったので二つ返事で引き受けることに。時給も悪くなかったし、なにより食べ物屋さんで働くのが好きですから。


しかし、バイトを始めて2,3日もすると、「だめだ、この店では続けられない」と思うようになりました。従業員はみんな親切だったし、仕事は簡単で、ランチタイムの2時間くらいは忙しいけどそれ以外の時間帯はのんびりしていて、比較的楽な職場だったのですが、どうしてもイヤだったのです。


その店が食器や調理器具などの多くを近所の100円ショップで調達していたからです。開店前のある朝、店長が「ダ○ソー」と大きく書かれた段ボールを抱えてきて、「すごいよな、なんでもあるんだもん100均。見てよこれ、とても100円とは思えないでしょ?」と嬉々として、丼やサラダボウル、カトラリー、グラス類を見せてくれたのです。そのほか皮むき器、スライサー、はさみ、ふきん、菜箸、お玉......。これら全てお店で使うもの。


「100円には見えないでしょ?」と店長は言いましたが、そう、確かにパッと見ただけでは100円には見えないかもしれない。でも、ちょっとさわれば、使えば、100円ショップの品は所詮100円程度(原価はもっともっと安いでしょう)のものであると気づくのです。


丼はやたらと重たい。カトラリーはペラペラして光沢がない。白いお皿は水気を帯びるとすぐに変色して細かいひび割れのようなシミが浮き出てきます。皮むき器は切れ味が悪く、力を入れて使うのでけがしそうになるし、ふきんはすぐ毛羽立つ、菜箸は熱ですぐに変な方向に歪んでしまいます。薄いステンレスのボウルはすぐにペコペコへこみます。


私は100均の店が嫌いではありません。「そんなにしょっちゅう使うもんじゃないし、とりあえずこれで間に合わせておこう」「どうせ消耗品だから」というような場合なら100均でも全然OKだと思うのです。現に私もプレゼント用のラッピング材や小物をいれるカゴ、洗剤を小分けにするプラ容器などは100均で買います。目から鱗のアイデア商品や、収納グッズなどはすごく充実しているし、え?こんなものまであるの? というおもちゃ箱的な楽しさがあります。


だけどね〜、いやしくもプロが、ヒトサマからお金をいただいて料理を提供しようというプロが、100均の食器使っちゃダメでしょう。100均の道具で調理しちゃダメでしょう。そんなことはない、業務用専門店に行けば100円どころかもっと安い食器が売られているし、そういうものを使っている店はいくらでもあるよ、という意見もあるでしょう。そう、それならそれでいいのです。そりゃあ誰だって高級な器を使いたい、質のいい調理道具を使いたいのは山々、けれどない袖は振れないから、ある程度のところで妥協して、店のTPOに応じた「それなり」のモノを使うのです。できるだけコストを削減して利益を上げていかなきゃやってられない店の事情はわかっているつもりです。経営は道楽じゃないんだし。


でも、備品にコストをかけないということと、100均で済ませるというのでは、似ているようだけどやはり違います。100均の商品には、拭いきれないニセモノっぽさ、貧乏くささがあります。直径18㎝の白い丸皿、ちょっと見ただけでは100円で買ったものも1000円で買ったものも大して変わりはないけれど、フォークをあてたときの感触、手に持ったときの重さ、何度も水をくぐったときの耐久性に必ず差が出ます。その差は一回や二回使っただけではわからないものかもしれません。私だって客としてこの店に食べに来たら、あるいは気づかないかもしれないしれない。でも、プロでありながら「どうせわかんないでしょ?」と買ってきた器や道具を使って客に出す料理を作る・提供するという感覚が、私には理解できないのです。しかもこの店、オープンしたばかりなのに。


食堂やレストランをやっている人なら誰しも、「おいしい料理を食べて喜んでもらいたい」という思いが根底にあるはず。わざわざお金を払って(たとえ一杯数百円のかけそばでも)「おいしいものが食べたい」と来店する客に、100均の器に料理を盛りつけて提供することは、料理好き・もてなし好きの端くれとして抑えきれない抵抗があります。金をかければいいというものではないとは思うけど、お金がないならないなりに、出来る範囲でできるだけの「おもてなし」をしたいと思うのです。たいした技術はないけれど、ごまかすのはイヤン。「安い商品」と「ごまかしの商品」、似ているようで、ちょっと違う。