ネットの火遊び

日テレアナウンサーの盗撮事件に絡んで書いたエントリがきっかけでブログが「炎上」状態になった藪本雅子さんのコメント。

......ほとほと、2チャンネル系の書き込みには辟易です。私を傷つけることだけを目的としているようなものもあり、また、娘に危害を加えるといった脅迫まがいのものもありました。ネットの怖さを実感しています。

 こういうコメントをブログに載せたいところですが、何を書いても攻撃されるでしょうから、今はしばらく静観することにしています。早く元の牧歌的のほほんブログに戻したいです。

http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_05/g2006052416.html

「炎上」するきっかけとなった藪本さんのエントリを知ったのは、はてなブックマークの「これはひどい」というタグからだった。確かにツッコミどころ満載の内容で、読んでみて私も「はあ?」と呆れてしまったのだけど、それよりも「この人、これから先が大変だなあ。大丈夫かなあ?」という心配の方が先に立った。


そしたら案の定、批判抗議のコメントやトラックバックが殺到。収拾がつかなくなるいわゆる「炎上」状態に。問題になったエントリ以外では、子育ての傍らキャリアアップを目指して奮闘努力する彼女の日常が淡々と綴られていて、特に過激なことや極端に偏った思想などはみられない。そんなごくフツーの「のほほんブログ」が一躍注目の的に。


かつて在籍していた会社の不祥事、かつての同僚が犯人だった、ということも重なり、感情的に書き殴ってしまったのだろう。当該のエントリで彼女が言っていることには全く賛成できないけれど、彼女がそう書きたくなった気持ちは理解できなくもない。身内を擁護すると批判が集中しているらしいけど、政治家や裁判官じゃあるまいし、一人の元OLとして、愛着のある組織や個人に甘くなってしまうのは仕方ないだろう。それに、現在の彼女はイギリス在住でメディアの露出もほとんどない。くだんのエントリが問題になる以前は藪本雅子という人がブログを書いているということを知る人もさほど多くなかったと思う。私も今回の件ではじめて知った。ほとんどの人がそうだったと思う。これまでは「のほほんブログ」と彼女も言っているように、一部のファンや身内などと和気藹々とコミュニケーションを楽しんでいるささやかな場所だったはずで、「公に向かって発信している」という意識は薄かったと思う。


今回槍玉に挙がった
「見られたくないならミニスカートなんか履くな」
「女の方にも落ち度はある」的な意見を言う人って、私の周りにもたくさんいる。私の周りだけじゃなくてこれを読んでいるみなさんの周りでも「あんなスカート履いてる方が悪いんだよ」という意見は多かれ少なかれ耳にしたことはあると思う。


そして、藪本さんのブログを「炎上」させている不特定多数の人々だって、こうした意見を見聞きするのは初めてではなかったはずだ。実生活で自分の母親とテレビを見ているときや、近所のオバサンとの立ち話、友人との雑談の合間に
「あんなミニスカート履いてる方が悪いわよ」という意見を耳にしたとき、彼らは藪本さんに向けたのと同じように激しい憎悪の気持ちを持つだろうか? 彼女のコメント欄にずらずら並んでいるような言葉で口汚く罵るだろうか? それほどこの事件に興味関心があっただろうか? 真剣に考えて、真剣に怒りを持っていただろうか?


最近やたら目にする「炎上」という現象は、批判とか抗議とはまったく違った、一種の「集団リンチ」じゃないかと思う。「赤信号みんなで渡れば怖くない」じゃないけど、面と向かっては何も言わない・言えないくせにし、そもそもたいした興味関心もないくせに、誰かが「こいつはいじめてオッケーなんだ」と宣誓すれば、みんなが一斉にターゲットを取り囲んで殴る蹴る。しかもネットの世界の集団リンチはみんな匿名という仮面をかぶっている上に圧倒的多数だから、ターゲットは抵抗できない。ただただ言われるがまま、されるがままに痛めつけられて、仮面をかぶった集団が「いじめ飽きる」のを待つばかりだ。


「公の場で自分の意見を表明するからには批判を受けるリスクは覚悟するべき」
「批判を受けるのがいやだったら書かなければいい」
それは確かに正論なんだけど。そういう正論を振りかざして、「炎上」に荷担している人々は、自分が放った言葉によってブログ主がどれほど深く傷つくのか、どれほどの恐怖を味わうのか、そういう「リスク」を「覚悟」しているだろうか?


「イヤなら書くな」と言うのは「つべこべ言わずに黙ってろ」「おとなしくいじめられてろ」というのと同義ではないだろうか? 実際藪本さんは、当該エントリの内容について自分の非を認めて謝罪もしている。それでも悪質な書き込みは絶えないようだし、サイトを閉鎖したらしたでそのことに対する揶揄・中傷が殺到するんだろう。


「炎上」って、ネットの中での巨大な火遊びだと思う。
最初は小さくくすぶっていた火種を誰かが見つけて、その辺にある枯れ葉や紙くずを放り込んでみた。そしたらほんの少し炎が大きくなって、面白くなって周りにいる遊び仲間を呼ぶ。「ねえねえ、燃えるよ?面白いよ?」そして、一緒になってその辺にある紙くずを放り込む。炎はどんどん大きくなる、大きくなると「なになに?面白そう!」とどこからともなく野次馬がやってきて手当たり次第にいろいろ投げ込んで、炎がふくれあがるのをけらけら笑いながら見ている。目的はただただ炎を大きくすることだけ。もはや、この火遊びを誰がはじめたのか、そもそも元の火種はなんだったのかなんてどうでもいい。ただ、炎が大きく、派手に燃え上がって、それを「みんなで」けらけら笑いながら眺めていられればいいのだから。



しがない弱小サイトではあるが、私も6年近くwebで文章を書き流してきた。稚拙で不用意なことを書いて、ずいぶん赤っ恥をかいたし、理不尽な揶揄・中傷もうけた。気味の悪い思いもした。ネット上でのトラブルは、実生活上でのトラブルよりダメージが大きい部分もある。彼女ほどの規模ではないけど、今回、彼女が受けた傷・疲労はリアルに想像することができる。そして、いつ自分がターゲットになるかもしれないという恐怖を強く感じてもいる。


けらけら笑いながら「炎上」に荷担している人たちは、きっと自分だけはいつまでも例外だと思っているんだよなあ。火遊びも過ぎると怪我するんだけどね。