記憶の中の「テンノウヘイカ」

tokori2006-08-10

私の父親は、伝統的なベテラン左翼だったので、家族みんなでテレビのニュースなどを見ているときにぽつりとつぶやく言葉や、政治や世の中の風潮などを評する言葉なども常に左翼的で少しもブレがなく、いつも熱かった。一度、家の増築工事をするときに、母がこっそりユタを呼んできて縁起のいい方角を占ってもらったところ、それはもうすさまじく怒り、いままで聞いたこともないような激しい口調で「俺が生きている間は金輪際ユタを家に入れるなよ!」と母に言っていたを覚えている。「お父さんはどうしてあんなにユタを毛嫌いするの?」と尋ねたら、母は「お父さんはカガクテキシャカイシュギの人だからね〜」と言っていた。「カガクテキシャカイシュギ」がどうしてユタと結びつくのか全然わからなかったけど、幼い頃の私は父親をとても尊敬していたし、まだ「サヨク」とか「ウヨク」とか、「ホシュ」「カクシン」とか、「ハンタイセイ」などという言葉も知らないから、「お父さんの言うことなら正しいんだろう。でも、うちのお父さんの言うことと、テレビや新聞で言うことはずいぶん違うんだなあ」とちょっと不思議に感じてはいた。


そんな父からすると、天皇、特に昭和天皇というのはもっとも主義思想に反する存在だったのだろう。私や母が(ミーハー根性は母子共通の遺伝子)テレビの皇室特集番組などを見ていると、「くだらないものを見るな!」と怒ってすぐにチャンネルを変えた。父は長い間地元で地方議員をしていたが、1987年の沖縄海邦国体の開会式でも、日の丸掲揚・君が代斉唱の際には起立しなかったらしい。父の主義思想はともかく、沖縄という土地柄では、天皇というのはとにかく微妙な存在で、昭和天皇が死んだときも、紀子さんや雅子さんのロイヤルウェディングで世の中が盛り上がっていたときも、天皇や皇室を無邪気に称揚し、肯定する空気は薄かったように思う。


大人になって、沖縄・日本・アジアの歴史を断片的にではあるが学んでいくにつれて、どうして父や沖縄の人々が天皇を厳しい視線で見るようになったのかはなんとなく理解できるようになった。そして、沖縄で育ち父の言動を見聞きしてきた私も、「天皇」や皇室にまつわる事柄にはどこか身構えてしまうところがある。


でも、そうした政治的歴史的背景を抜きに、一個のキャラクターとして見たときの天皇、とくに昭和天皇については、とても興味深い存在だった。やっぱり殿上人だなあ、おもしろい人だなあ......と好感を持って見ていた。


私が覚えているのは、もうだいぶ年をとってからの昭和天皇だったけど、まず、彼にはおよそいかめしさというものがなかった。謹厳実直の権化のような明治天皇と違って軍服が全然似合っていない。いつもなんとなく上の空のような表情をしている。たたずまいに「力み」がまったく感じらず、いかにも殿上人という感じだった。戦前・戦中には軍国ニッポンの象徴だった人だけど、その風貌には少しも威圧的なところがなく、そうかといって親しみやすいというわけでもなく、そう、本当の意味で「浮世離れ」している感じで、春の園遊会などで各界著名人と会話するときの「あ、そう」という、あの有名な口癖も、かちこちにしゃっちょこばっている列席者と対照的でなんともユーモラスだった。


昭和天皇といってまず最初に思い浮かぶのが、大相撲の観覧席で、身を乗り出して口を半開きにして土俵を凝視している姿。テレビカメラもお着きの人々もまったく意識していない様子で、ただただ無邪気に取組に没頭しているその様子は、まるで子供のように素直で無防備だった。ああ、このおじいちゃんはほんとーーーにお相撲が好きなんだなあとよくわかる姿だった。ほんとうだったら、毎日でも国技館に通って一番前の砂かぶりの席で観戦したかっただろうに。


生まれてから死ぬまで、その一挙手一投足がすべて政治的に扱われてしまう難儀な存在だったけど、実際のところ、一人の人間としての昭和天皇は社交もさほど得意ではなく、愛する自分の家族がいて、趣味に没頭できていれば満足、それ以上大きな野心は持ち合わせていない、きわめて控えめな教養人に見えた。それが行け行けドンドンだった帝国ニッポンのアジア侵略の旗印なんだもんねえ。彼のキャラクターとはもっとも遠い役を演じなければならず、さぞかしきつかっただろうと思う。


......てなことをつらつら思ったのは昨日、「太陽」という映画を見たから。昭和天皇を主人公にしたロシア映画昭和天皇を演じるのはイッセー尾形イッセー尾形昭和天皇、全然似ていないのに、これがもう、昭和天皇の霊がのりつったとしか思えないほどのなりきりっぷり。話をする前に何か言いたげに口をもぐもくさせるところとか、歩き方、そして「あ、そう」というあの口癖すらも、私の記憶にある昭和天皇の姿、そのものだった。終戦を決定する御前会議から人間宣言をするまでの、おそらく昭和天皇にとってはもっとも波乱に満ちた時期を描いたストーリーだったけど、どの場面もまるで風景画のように控えめで、物静かで、そして思わぬユーモアが潜んでいた。喜怒哀楽をストレートに表現することに慣れていない不器用さ、すべてが言動が監視され「解釈」されてしまうがために、誰にも心を許せず、自由に身動きすることもできない深い孤独、そんな一人のおとなしい殿上人の苦悩がゆっくりと浮かび上がってきた。


いまだに「天皇制」というシステムにはやはり大きな疑いを持っているし、なじむことができない私だけど、この映画を見て、そして記憶の中の昭和天皇の姿を思い浮かべると「システム」としてしか生きることのできなかった人生というは、ほんとうにつらく寂しかっただろうなあと胸が苦しくなるのだ。つらかった、苦しかった寂しかったと、大ぴらに愚痴ることもできなかった人生。どんなにかもどかしく悔しかっただろう。死ぬまで「難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」だったんだろうなあ。



この映画を見るまで、久しく昭和天皇のことなど思い出しもしなかったが、ロシア人の監督が撮ったこの作品を通して、生まれて初めて「昭和天皇」という存在に心から共感することができたように思う。相撲の観覧席でのあの子供のように無防備な表情、ふわーっとした柔らかい声の「あ、そう」というあの口癖を、もう一度見てみたくなった。