私のお花見

昔、結婚したての頃、沖縄の実家でちょっとしたトラブルが起こり、しばらく帰省していたことがある。家の内と外の双方で複雑で微妙な問題がからみあい、もがけばもがくほど事態は混乱するばかりで、苦しい状況がしばらく続いた。家族はみな暗く沈んだ顔をしていて、口を開けば誰かを責めるようなことばかり言い合っていた。私はどうすることもできず、ただおろおろしてため息ばかりついていた。デリケートな問題だったので誰にも相談できなかった。つらくて苦しくて、眠れない夜が続いた。


そんな八方ふさがりの空気の中、オットから速達が届いた。私がいない間の家の様子と簡単な事務連絡が短く書いてあるだけの一筆箋が1枚。それと、もう1枚紙切れが入っていて、それは、当時週一で朝日新聞に連載されていた「ロダンのココロ」というマンガの切り抜きだった。私は、毎週そのマンガを楽しみに読んでいたのだ。


何気ないオットのその心遣いがうれしくて、私は声を上げて泣いた。




――手術の後、痛みと虚脱感でぼんやりした頭でうつらうつらしていたら、オットが病室にやってきて、手を出してごらん、と言った。


差し出した私の手に、小さな桜の小枝を握らせてくれた。病院に来るまでの道すがら、風に吹かれて舞い落ちてきたのだそうだ。
その日は東京で満開宣言が出た日だった。


その桜の小枝はすぐにしおれてしまったけど、あのときの「ロダンのココロ」の切り抜きのように、しみじみとうれしかった。


退院した日には桜の盛りはすでに過ぎていたけど、今年は最高のお花見ができたと思っている。




ロダンのココロ

ロダンのココロ