聞いてもらえないからでかくなる

いっそモンスター - 北沢かえるの働けば自由になる日記

昨日、「モンスターペアレント」というドラマの予告編だけちらっと見ました。
我が子かわいさの余り、常軌を逸した言動や理不尽な要求で学校側を混乱させるモンスターペアレント、ドラマにまで登場するとはすっかりその存在も定着したんですね。もっとも、マスコミっていつも極端な事例しか紹介しないから、実際の学校現場がこういう非常識な保護者にどの程度影響されているのかはわかりませんが、子育て中の友人達の話題にもこの手の話はしばしば出てくるので、きっと大変なんでしょう。嘆かわしいことです。困ったことです。


ただ、私がこの手の「モンスターペアレント」叩きの報道にちょっとイヤンな感じがするのは、「声高に意見する人々」への嫌悪感がビミョーに混じっているような気がするからなんですよね〜。


デモとかストとか抗議とか市民運動とか......そういう、「もの申しちゃう人々」、特に「お上」に対して「もの申しちゃう人々」に対して、最近の世の中ってほんとうに冷淡です。
なんだろね、これ。確かに聞くに値しない自己チューでトンデモな要求も多いだろうけど、なにかを声高に主張するからには、そこに至るまでの理由があり背景があるはず。「声高」になるのは自分たちの要求が受け入れられ難いという認識があるからじゃないのかなあ。


他人の権利を侵害しておきながら自分の権利ばかりをガンガン主張するような態度は非難されるべきだと思うけど、なにかをアグレッシブに主張する人々に対して、まったく違う人種みたいに線引きをして、「モンスター」みたいな言葉でひとくくりにしてしまうのはいかがなもんかと。「モンスター」ってレッテルはった(はられた)時点で、意思疎通は不可能になってしまいますよね。問題はいっこうに解決されず、両者の間には深くて暗い溝が広がるばかり。聞いてもらえないから、話し合いの余地がないから、どんどん声ばかり大きくなるじゃないでしょうか。


まあ、こんなことを言っていられるのは、私が「現場」を知らなくてそういう「モンスター」の被害にあったことがないからでしょう、きっと。


でも、「モンスターペアレント」の台頭をとっかかりにして大人達のモラルの低下や「行き過ぎた個人主義」の弊害を憂える論調に紛れて、「もの申す人々」=「迷惑な人々」という図式が出来つつあるように感じて、ちょっと怖いです。私だって、今はとりあえず平和におとなしく市民生活を送っているけれど(言いたいことは山ほどあるけどね)、そのうちしかるべき所に出て意見したくなる場面が出てこないとも限らない。そのとき、自分の出した意見や要求が「モンスター」なんてひとくくりにされたら腹立つと思うなあ。でかい声も出すと思うよ。


いや、違うな。なにか言いたいことがあっても、「モンスター」なんて言われるのが面倒くさくて、言いたいことも言えないこんな世の中じゃ〜ポイズン♪ と空しくつぶやくだけで黙り込んでしまうかも。あ? ひょっとしてねらいはそこ?


というわけで、id:kmizusawaさんのブクマコメント

「モンスター」という言葉が「意見封じ、要望封じ」に使われてしまう危険性。/かえるさんの言われるように、親も学校も余裕がないんだろうね。


に激しく同意です。なんともまあ、息苦しい世の中になってきましたね。