名付け親

こないだちょっと書いたid:tokori:20041018#p2漢字とひらがなの交ぜ書き表記。コメント欄でid:duke377さんが教えてくださったように、見直しの動きが強まっているらしい。よきかな、よきかな。「駐とん」「さい配」「破たん」なんて間の抜けた字面が活字媒体から一掃されることを切に願う。漢字文化を守ろう、美しい日本語を守ろう! なーんて、「勝」という字の横棒が2本だったか3本だったか迷ってしまう私に言われたくないだろうけど、でもね、安易な方へ、安易な方へと流れに任せているとあっという間にバカになるよ、ホント。

それから、交ぜ書き以前に、私が常々見直して欲しいと思っているのが、人名における甚だしき当て字ですね。歌謡曲の歌詞なんかで「真剣」と書いて「マジ」と読ませたり、「都会」と書いて「まち」と読ませたりする、あのセンス。あのセンスのままで、はあ?と思うような読み方を強制する名前が最近多いような気がするのですよ。

2,3年前に、誘拐事件に巻き込まれた(幸い無事に保護された)男の子が、「騎士」と書いて「ないと」君だったというのを聞いて、「んまー、大変だったわね〜」という同情心がほんのちょっと薄らいだことがあった。覚えてますか、皆さん? 「ないと」って。どんなに不細工になっても、ヘタレな弱虫でも「ないと」。まあ、意味はこの際おいとくとして、「騎士」の読みは「きし」だろう、日本語なら。なんで「ないと」で役所がOKだすのか不思議でならない。人名に使用する漢字はいろいろうるさい規制があるらしいけど、読みは何でもアリなのか。あと、キムタクの娘さんも「心美」と書いて「ここみ」と読ませるってちょっと苦しい。そりゃあ、キムタクの娘だから日本全国津々浦々にその名は知れ渡っているんだろうけど、一般ピープルの子供だったら「はーい、年長組さん、出席とりまーす。木村......シンビ? あれ、これなんて読むの?」という展開にふつうはなるよな。

自分の名前を読み上げられるたびに、「これ、なんて読むの?」と聞かれたり、間違った読み方されて「いいえ、違います」といちいち訂正しなきゃならないって、実は子供にとってはけっこうプレッシャーだったりするんじゃないかな。めんどくさいしね。

小学校の頃、同学年に「未央人」という名前の男の子がいた。「未央人」、なんて読むと思う? 答えは「まさと」。んなのぜっっっっっっっっったい読めないよ。ここまでくると、当て字というか、造語だし。
その子は学年の始まり、教師が生徒の名前を覚えきれていない時期には、毎時間毎時間「みおと......くん?」「みおうじん?」とか、いろいろな呼び方されていて、そのたびに「まさとです!」と訂正していたんだけど、端で見ていても気の毒だった。まあ、親はいろんな夢や期待や願いをこめて一生懸命考えてつけた名前なんだろうけど、世間の人は、いちいち他人の子供の名前にこめられた理想なんかに頓着してられないんである。夢を込めるのも、凝るのもいいけど、実用に支障を来さない程度にしてもらわないと子供が気の毒ですよ。

ちなみに私のオットの名前は「太郎」といいます。読み方はもちろん「たろう」。電話で名前を伝えるときは「桃太郎の太郎です」と言っています。役所や病院などの書類の見本欄にかならず「つくば太郎」とか「牛久太郎」とか書かれてしまうあの「太郎」。まことに実用的。小学一年生でも読めるし書ける。スバラシイ。しかし、あまりにも平易な字面だと、それはそれで恥ずかしい、もちっと凝って欲しかったなあ......と、オットは申しております。ちなみに義父は生まれてくる子が女の子だったら「花子」にするつもりだったそうです。それもある意味すごいこだわり。