最終回

毎年3月のこの時期、バラエティ番組なんかを見ていると、「番組の最後にお知らせです。1年間この番組でアシスタントを務めてくれました○○ちゃんが、今日で番組を卒業することになりました」という告知があって、にわか「卒業イベント」になる場面を頻繁に見かける。スタッフから「卒業」する○○ちゃんに花束が贈呈され、○○ちゃんは「ほんとうにいい勉強になりました。みなさんどうもありがとうございます」と、大粒の涙。そして、司会者のさばさばしたアップに切り替わり、「4月からは番組内容も一新、大幅リニューアルしてお送りします。来週からもこの番組をよろしくお願いします」とにこやかに手を振り、カメラが引いて、「一年間、お疲れ様でした」とテロップが出て番組終了。そんなに熱心な視聴者ではなかったはずの私も、たまたまそういう「卒業シーン」を目の当たりにすると、なんとなくしんみりしてしまう。


アシスタントが変わるくらいのプチリニューアルならまだいいけど、番組のメイン司会者が丸ごと交替とか、番組自体なくなる場合など、花束贈呈のシーンや「お別れのあいさつ」の場面はもっとシメっぽくなる。先日最終回を迎えたTBSの「ジャスト」では、キャスターの安住アナが涙で顔中ぐしゃぐしゃにしながらの大泣き。「辛口ファッションチェック」のピーコも三雲孝江キャスターも連鎖反応でよよよと泣き崩れ、涙、涙の幕切れとなった。


「卒業」なんて聞こえのいいことを言っているけど、要は首切り、リストラなんである。視聴率低迷、もう飽きた、もっと目新しいタレントや題材でリニューアルしたい、理由はいろいろあるだろうが、とにかく「もう君たちは用なしだからね」と切り捨てられることに変わりはない。「スタッフのみなさん、ありがとうございました」と殊勝に涙を流している出演者達も、本音では「なんで終わらせるんだよ〜、まだまだ余力あるじゃないか! もう一回チャンスをくれたっていいじゃないか! わかってないなあ、ちくしょー、ふざけんな!」と思っていることだろう。


まあ、安住アナのような局アナなら、出演番組が一本減ったくらいで収入が増減するわけではないし、番組が終わっても自分の居場所はそれなりに確保されているだろうが、フリーのタレントにとってはレギュラー番組が一本減るということは、収入的にもタレント生命としてもかなりの打撃だろう。とてもとても「スタッフのみなさん、ありがとう」という心境ではないに違いない。
しかも、自分より若くてかわいい「旬」のタレントが、自分の後釜に据えられるとなれば、それこそ「はい、あんたはもう賞味期限切れだから」と間接的に言われているようなもんで、精神的ダメージも相当大きいだろう。


テレビ界の番組改編期は4月と10月。タレント達にとっては胃がキリキリと痛む時期だろう。年に二回も「いつ番組が終わるか、いつ切られるか」と戦々恐々として過ごすのはほんとうにキツイだろうなあと思う。「花束贈呈」や「感激の涙」でコーティングされてはいるけど、切り捨てられた番組の裏にはもっとドロドロした無念と怨念がたくさんつまっているはずだ


視聴者は、「え? この番組終わっちゃうの? けっこうおもしろかったのになあ」とほんの一瞬寂しく思うけど、4月になれば「そうそう、新番組が始まったのよね」と同じ時間に同じチャンネルを合わせて、終わってしまった番組のことなんかきれいに忘れてしまう。そして、「新番組」にすぐ慣れてしまう。だけどその「新番組」だって、いつまで続くか保証はないんである。


あんなチョロい仕事で高額なギャラもらって......と、一見お気楽に見えるゲーノー人だけど、年がら年中椅子取りゲームのデスマッチをしているようなものだろう。限られたポストを巡っての熾烈な争奪戦、いくらでもいる代替要員。


進むべき未来あってこその卒業である。ジリジリと落ちていく人気と知名度、忘れられていくという焦燥感を背負って、番組を去っていくたくさんのタレント達。とてもまともな神経じゃわたっていけないだろうな。人気稼業もラクじゃない。