クラシックを聴く私が好き

というわけで、本日のBGMはブラームスのバイオリン協奏曲ニ長調でございます。
ここ数日というもの、我が家は朝となく夜となくずーっとクラシックのCDかかりまくりです。
目覚めはバッハ、午後のお茶のひとときはショパン、夕暮れ時はドヴォルザークですよ。え? どうせ「のだめカンタービレ」読んで感化されたんだろ? ですって? 何をおっしゃるうさぎさん。
ワタクシ、こう見えても幼い頃からクラシックになじんで育ってきたんですのよ。なにせ、実家の電話の保留音は「アヴェ・マリア」だったんですから!


いやね、ずーっと昔、映画「アマデウス」を観てえらく感激して、それからしばらく集中的にクラシックばかり聴いていた時期があったのです。チャイコフスキーの「悲愴」、ベートーベンの「運命」、バッハの「ブランデンブルク協奏曲」、ショパンピアノソナタ集などなど、有名どころをひとしきりさわって、やっぱり私は華やかで優雅な協奏曲が好きだわ、ということに気がついて、ピアノ・バイオリン・チェロの協奏曲ばかり集めて聴いてましたね。OLしてた頃は通勤時に聴いていたウォークマンにも「ツィゴネルワイゼン」入れたりしていたわ......。何年か前、ギドン・クレーメルがつくばに来たときは、頑張って高いチケット買ってチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を聴きに行った。いやあ、素晴らしかった。今でも忘れられない思い出。


でも、所詮付け焼き刃のクラシック熱。どうしても背伸びしてる感から抜け出せなくて、「私は今! クラシックを聴いている!」という気負いばかりが先に立って、曲の構成、演奏の良し悪し、時代背景などを「把握」しなきゃ、「理解」しなきゃと、小さなプレッシャーを感じていたんだよなあ。それが次第に鬱陶しくなって、クラシックを聴くという行為から遠ざかってしまったのでした。不思議だね、ボサ・ノヴァ聴いてるときやポップス聴いてるときにはそんなプレッシャー感じたことないくせに、どうしてクラシックだけ、大なり小なり「お勉強モード」になってしまうんだろう。あ、ジャズ聴くときもちょっとそういうのあるかも。


でも、こないだ、音大生の生態を描いた人気コミックを読み始めまして(てゆうか、やっぱり「のだめ」なんですが......)、やっぱ、クラシックよね、クラシック! とにわかに熱がぶり返し、ラックの奥で埃をかぶっていたCDを引っ張り出してきて聴きまくりですよ。


室内楽から交響曲・協奏曲、無伴奏チェロ・バイオリン、ピアノソナタ、いろいろ聴いたけど、私は、ドヴォルザークチャイコフスキーなど、通に言わせれば「ベタ」な部類に入る作曲家が好きなようです。あと、CMや映画などで使われた「どこかで聴いたクラシック」がそのまま好きな曲になってしまうという、やはり雰囲気重視の永遠のビギナー。演奏の良し悪しや指揮者の好き嫌いなどどを語れる「クラシック通」レベルにはほど遠いです。


でも、家でクラシックが流れていると、自分がビミョーに高尚な人間になったような気がして非常に気分がよろしい。バッハの管弦楽組曲を流しながらお皿洗ってるときなんか、今、誰か訪ねてこないかな、なんて思ったりするもん。「クラシックが好き」というより、「クラシックを聴く私が好き」という感じ。


とういうわけで、現在のワタクシ、心はウィーンやパリの石畳です。ついこないだまで「青春歌年鑑」シリーズで、斉藤由貴チェッカーズで涙していた私ではないのです。おニャン子クラブ? アルフィー? 杉山清貴? しっしっ! 耳が汚れるわっ! てなもんですよ。


そんな見栄っ張りの、付け焼き刃クラシックファンのワタクシではありますが、「私は今! クラシックを聴いている!」的気合いや、プチブル的雰囲気に自己満足するだけではなく、心の底から、ああ、ほんとにきれいな曲だなあ、ステキな曲だなあ......。と、純粋に没頭することが出来る曲ももちろんあります。


クラシックを聴き始めたきっかけであり、今も昔も変わらず大大大好きな曲。宝物の曲。いつ聴いても、何度聴いても、初めて聴いたときと同じような感動を呼び起こしてくれる心の宝物のような曲。「モーツァルト ピアノ協奏曲20番」。私が持っているCDは、まだ学生だった頃に渋谷の中古CD屋で1000円くらいで買ったもの。演奏はルービンシュタイン(超巨匠)、指揮はアルフレッド・ウォーレンステイン、演奏はRCAビクター交響楽団(どっちもあまり有名じゃないね)。録音状態もあまり良くないし、ライナーノートなんかもショボいんだけど、この一枚のCDで私は確かに「人生の喜び」を教わった。


敷居が高くてなかなかとっつきにくいクラシック。私は永遠のビギナーで、いつまで経っても扉のとこでうろうろしているだけだけど、モーツァルトのピアノ協奏曲20番のように、一度その美しさに魅入られると、もう死ぬまで忘れられないという魔力はおぼろげながら感じる。何度聴いても違う味わいが増してきて、その良さがじわじわ染みてくる。心の一番深いところにすとんと入ってくるような、密度の濃い感動。こういう気持ちになれるのは、やはり「時の洗礼」を受けた古典(クラシック)独特のものなのかもしれないなあ。