もうソラで言えるかな?
アヒルさんとこより。
自分のケータイの番号を覚えていないひとは珍しくないと思うけど、私もそのなかのひとり。
「番号教えて」
と言われてもケータイを開いて調べなくてはわからない。もしくは娘に教えてもらう。脳ミソがフレッシュだからか、娘は私のケータイ番号をすぐ覚えてしまった。
わかるなあ。わかる。ケータイに限らず、ソラで言える電話番号がほんとになくなった。私は、自分とオットのケータイ番号はかろうじて覚えているけど、それ以外に、ソラで言える電話番号というと、
- 自宅
- 自分のケータイ
- オットのケータイ
- 沖縄の実家
- 警察 時報 天気予報
- よんよんまるまるわんわんわん、ツカサーのウィークリーマンション
くらいである。
ソラで言える番号が減ったのは、年齢と共に脳の働きが鈍って、新しい情報をインプット出来なくなっているというのもあるんだろうけど、やはり一番の要因はメモリーダイアルだよね。今はほとんどすべての電話機にメモリ機能がついているから、電話機を買った当初にシコシコ入力しておけば、番号を覚える必要なんてまるでない。オットも、家族も、友達も、恋人も、電話をかけたいときは、ジョグダイアルをぐるぐる回して、ピッとボタンを押せば、ワンタッチで通話可能。今の小学生、中学生くらいになると、自宅の電話番号もメモリ登録しているはずだから、「自宅の電話番号」すらおぼえていない(おぼえる必要のない)子どももいるのかもしれない。
逆に言うと、メモリ機能のついていない電話機しかない場所に行くと、誰にも電話がかけられないという悲劇に。ずーっと前、テレビ制作会社で働いていたとき、口を酸っぱくして言われたのが、会社の電話番号はメモリ登録するな! ということだった。会社の電話番号くらいはしっかりおぼえおかないと、ロケ先や移動中など、ケータイが使えない場所に行った時に、迅速に連絡が取れないから、というわけだ。
とにかく公衆電話までいこう
確かコンビニが近くにあった
覚えたての君の番号
もうソラで言えるかな?槇原敬之「雷が鳴る前に」
いいなあ、こういう情景。恋人の電話番号がソラで言えるって、それだけで、相手の一部を所有したような気がして、絆が深まったような気がして、ほんのりとうれしく、誇らしかったものだ。
親に聴かれたくない話しをするために、家の近所の公衆電話で、ボーイフレンドの番号をドキドキしながら押した、あのときめき。
でも、そんな情緒も、今は昔の話だ。マッキーのこの曲だって、たかだか10数年前の曲なのに「公衆電話」も「君の番号」を「ソラで言える」ことも、もう恋愛の重要なファクターではなくなっている。あれはあれで、味わい深いものだったんだけどね。
相手の番号をひとつひとつプッシュする時の、あの間、じっとりと汗ばんだ指先の震え、狭苦しい公衆電話のボックスの、じっとりと重く、熱い、あの空気......。そんな微妙な心理も、ケータイとメモリダイアルは消し去ってしまったのかもしれない。
恋人の電話番号といえば、昔のヒット曲で、
ごめんなさいね 私見ちゃったの
あなたの黒い電話帳
私の家の 電話番号が
男名前で書いてある島津豊「ホテル」
というのがあるが、当時私は、「不倫相手の電話番号くらい覚えてろよ! ロクでもない男だ、まったく!」と思っていた。これが、平成版「ホテル」になると、もちろんケータイのメモリ登録だろうから
ごめんなさいね 私見ちゃったの
あなたのケータイの アドレスメモリ
私のケータイの 電話番号が
男の名前で 登録されている
になるんだろうな。どっちにしてもロクでもない男だ。
みなさ〜ん、恋人の番号くらいはソラで覚えましょうね〜♪