含羞は水洗の彼方に

オットと二人でテレビを見ていたら、日本最大のトイレメーカー「TOTO」の特集をやっていました。世界で始めてお尻洗浄機能付きトイレ・ウォシュレットを一般発売した偉大なメーカー・TOTO。いやほんとにね、あのウォシュレットっていうのはすごいね。一度使い始めたらもうウォシュレットなしでは生きていけないもの。最近では公共施設や商業施設のトイレにもウォシュレットが完備されているところが多く、いつでもどこでもお尻しゅわしゅわで快適トイレが満喫できて実に便利。あの温度、あの水圧、あの角度。もうたまんない。私のバイト先が入っているショッピングセンターは買い物客用トイレは言うに及ばず、従業員トイレもウォシュレット完備です。こんな風に至るところでウォシュレットの恩恵をうけていると、逆に、ウォシュレットがついていないトイレだと催していたソノ気が文字通り尻すぼみになってしまいます。いやあ、文明ってほんとスバラシイですね。


......などなど、オットと二人でウォシュレットのすばらしさについて熱く語っているうちに、「『ウォシュレット以前』の時代、どうやって用を足していたのか」という話題になりました。
ちなみに私は物心ついてからずっと洋式の水洗トイレでした。洋式も水洗トイレもかなり普及していたとは思いますが、まだ使い慣れていない人もいたのか、タンクのところに「洋式トイレの使い方」というステッカーが貼られていて、「貯水タンクとは反対側の方向を向いて座ってください」「ふたを開けて使用してください」「男性の小用の際は便座をあげてください」などの注意書きが簡単なイラスト付きで書いてあったのを覚えています。実際、久米島に住む母方の祖母は洋式トイレが苦手で、「力が入らない」とよく言っていました。


その祖母の久米島の家は超原始的な和式の汲み取り便所。しかも、母屋から離れた裏庭にあったのです。これがイヤでねえ。祖母の家に泊まりに行くと、臭いし暗いし夜は不気味だし、おまけにどうかすると「ポッチャン」とおつりがはねあがってくるしで、トイレに行くのが苦痛でいつも便秘でした。


くみ取り式と言えば、私が通っていた小学校には、小学2年生頃まで一部の校舎にくみ取り和式トイレが残っていました。もちろん、「穴から血まみれの手がにょきっと伸びてきて足を引っ張る幽霊が出る」というド定番のトイレ伝説つき。臭くて暗いくみ取りトイレをみんないやがって、短い休み時間でも、わざわざ遠くの新築校舎まで水洗トイレを求めて出張していたっけなあ。


で、オットはというと、ウォシュレット以前の自宅トイレは「ネポン」だったというのです。
ネポン? ネポンとはなんぞや? と言うと、
「え〜? ネポン知らないの? あんたほんとにニッポンジン?」とくだらないしゃれを言います。
さっそくググってみたら(しかし、私の日常生活におけるグーグルの役割って、こーゆー屑知識ばっかりの蓄積だけなのよねえ)、ネポンとは簡易水洗式便所で有名なメーカーの製品で、おもに下水道が整備されていない地方や工事現場などの仮設トイレなどで使われるものだったらしいです。


うーん、そういえば、離島に住む親戚の家に、用を足した後ペダルを踏むと、泡泡した液体がシュポっと出てきてブツを流す「なんちゃって水洗トイレ」みたいなトイレがあったような気がするなあ。
オットの家のネポンはしばらくして水洗トイレになり、そのトイレにウォシュレットがつき、便座ウォーマーがつき、と日進月歩の進化を見せたのですが、下水道の整備は相変わらず遅れていて、水洗トイレを取り付けるためにかなり大きめの浄化槽を設置しなければならなかったそうです。私が結婚してその家に住むようになってからも、半年に一回くらいの割合で汲み取り作業が入ったなあ。子供の頃は、けっこうあちらこちらで汲み取りの車を見かけて、周囲に独特の匂いがただよっていたものだよ。最近じゃすっかり見なくなったけど......などと思い出をたどっているうちに、昔読んだあるエッセイの一部分を思い出しました。

 昔々、あのかたたちが廻ってくるのは、月に一度だったのか、半月に一度だったのか。もう忘れかけている。 
 何軒か先に来ると、匂いで判った。
「ほらほら、行きたいひとは早く行きなさいよ」
 祖母や母が子供たちをせき立てる。
 汲取屋さんの作業中は、ご不浄が使えなくなるからである。
 そう言われると急に行きたくなって、順番のことでけんかになったりする。
 うちでは、こういうとき、匂いのことを口にするとひどく叱られた。
「お前はしなかったのか」
 というのである。
 そう言って子供たちを叱りながら、大人たちは醤油を火鉢に垂らしたり、茶をほうじたりして匂いを消す工夫をしていた。(中略)

「田園の香水」
 とうちの父は言っていたが、あの匂いを嗅がなくなって、もう随分になる。
 どう考えても、いい匂いではなかった。
 自分どきにぶつかったり、気の張る客が来ていたりすると、具合が悪いこともあった。
 せいいっぱいきどったところで、人間なんて、こんなもんじゃないのかい、と思い知らされているようで、百パーセント威張ったり気取ったりしにくいところがあった。
 今はそんなことはない。
 昔は、あからさまに明るい電気で照らすにしてはきまりの悪い場所だったのが、今は、天下堂々、白一色、その気になればおしめの洗濯もできようかという、水洗トイレである。
 見たくなければ、そのまま、水に流してしまえる。
 他人さまに下(しも)のお世話をしていただいているうしろめたさもなく、怖いものなしで大手を振って歩けるのだ。
 男にも女にも恥じらいがなくなったのはこの辺が原因かもしれない。
 街からあの匂いと汲取屋が消えたのと一緒に「含羞」という二つの文字も消えてしまったのである。


向田邦子の「女の人差し指」というエッセイ集に入っている「香水」というエッセイです。私がこのエッセイを読んだのは、確か小学6年生の頃。このエッセイを読んで「含羞」という文字を辞書で引いて、初めてその意味を知ったのです。


ほんとにねえ。ワタクシのような妙齢の美女(?)が、何のためらいもなく、「ウォシュレット最高!」「あの水圧がたまらない!」などと言い放っているのですから、確かに「含羞」は水洗の彼方に流れてしまったのかもしれません。「汚い方が美しい」ことっていうのもあるのね。

女の人差し指 (文春文庫)

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