幸せなら手を叩こう

6月に夫婦で中国(北京・桂林・上海)を旅してきました。いつもは航空券とホテルだけを旅行代理店で予約してもらって、現地での移動・観光はフリーというスタイルの旅なのですが、今回はパックツアーにしました。


パック旅行は以前にも一度経験したことがありますが、そのときの印象として

  1. 観光客仕様の食事は味気ない。メニューを選ぶ自由がない。
  2. 定番観光地を効率よくまわれるのはいいが、自由時間がないので街のぶらぶら歩きができない。
  3. 他のツアー客も一緒に行動するので、いろいろと気を遣う。
  4. 行きたくもないおみやげ屋さんに連れて行かれる。


というのがあり、まるでベルトコンベヤーに乗せられて観光している気分になったのでした。
重たい荷物を持って延々歩き回ることになっても、地下鉄の切符の買い方がわからなくても、読めないメニューに悪戦苦闘しても、それでも二人だけで自由に行動できるフリープランの方がいいなあと思っていたのですが、なにせ中国大陸はばかでかい。北京・桂林・上海の3都市を効率よくまわろうとしたら、どうしてもパックツアーが一番お得です。ま、いいか、ツアーもたまには。同行するのがいい人たちだといいなあ......と半分妥協して申し込んだ私たち。


さて、北京到着。空港で現地のガイドさんと落ち合って点呼を取ったときに、成田から出発したのは私たち夫婦とKさんという初老のご夫妻の二組だということがわかりました。この二組は出国から帰国まで全日程同じ。あとは各都市で同じ旅行社が主催する様々なツアーの客と入れ替わり立ち替わり一緒になる模様です。点呼を取った後にKさんの奥さんが「あなた達も成田からなのね。よかったわあ、頼もしい若い人たちで。私たち、夫婦二人だけで海外に行くのは今回が初めてなの。不安で不安でねえ。日本で旅行を手配したときに、このツアーなら先に予約した夫婦がもう一組いるって聞いたので、あ、よかった、ふたりだけじゃないんだって心強くなって予約したのよ。よろしくね」とわざわざ挨拶してきました。いやいや、こちらもそんなに旅慣れているわけでもないんですけど、でもこれから一週間、こちらこそよろしくお願いします。と挨拶を返す私たち。


このKさんご夫妻との出会いが、今回の旅の最大の収穫になったのでした。


ご夫婦は横浜にお住まいで、ご主人の方は「歩く会」かなんかに参加されているとのことで、この旅で万里の長城を歩くのが最大の楽しみ。
奥さんは昔から中国大陸に憧れがあったそうで、この旅行のために何ヶ月も前から中国関連の本や映画(「ラストエンペラー」など)、テレビドラマ(「北京バイオリン」など)を見て予習していたのだとか。何度も何度も「夫婦二人だけだから不安だけど、みなさんとご一緒できてほんとに心強いわ。私たちあまり旅慣れていないから」とおっしゃいます。


現地のガイドさんが「はい、全員そろいましたね。北京はわたくしが案内します」と挨拶すると、奥さんは一歩前に出て、「こちらこそよろしくお願いします。なんか困ったことがあったら助けてくださいね。いろいろ教えてくださいね」と深々と挨拶。故宮や天壇公園や天安門広場などで入れ替わり立ち替わり一緒になる他のツアー客の人たちにも「短い間だけどよろしくお願いしますね。私たち夫婦二人だけで旅するのは初めてなので」にこにこ挨拶されています。


確かにあまり旅慣れていらっしゃらないようで、とにかく見るもの聞くものすべていとをかし、といった風情で、バスが高速のインターに入れば「まあ、見て見て!標識も看板もみんな漢字ばっかりよ!」「まあ、こんなに高層ビルがたくさん!」としきりに感激しています。
天壇公園の見晴台から北京の街を一望すれば、「まあ、ほんとうに映画から出てきたみたいねえ! 大きいのねえ! すてきだわあ! お父さん、見て見て、あれが紫禁城よ!ラストエンペラーよ!」と大感激し、「あの建物が○○で、○○という伝説が残っています」となどのガイドさんの説明に、「あらまあそうなの。すばらしいわねえ」と何度も深く頷きながら熱心に聞き入り、説明が終わったガイドさんには「ずっと大きな声を出されてお疲れじゃありませんか? よろしかったらこれどうぞ」と持参ののど飴を差し出し、レストランに入れば、「まあ、これはなにかしら? おいしいわねえ。あら、あなた方ビールは? せっかくだから一緒に飲みましょうよ。いいのいいの、私にごちそうさせて。私、みなさんとご一緒できるっていうだけでもううれしくてうれしくて。ほんと、遠慮なんかしないで。ごちそうさせて」とビールをごちそうしてくれ、そればかりか「このおかず、みなさんに行き渡ったかしら?これは?これは?」と回転テーブルをくるくる回してみんなに食事が行き渡るように気を配ってくれます。


私たち夫婦が一番げんなりした、強制的に連れて行かれるおみやげ屋さんでも「まあ、きれい! 見事! すてきだわあ」を連発し、最初に入ったおみやげ屋さんで2?はあろうかというでっかい水晶玉を購入されていました。初日でもうそんなの買っちゃったんですか? これからまだだいぶ日程があるのに重たくないですか? おいくらでした? え? ○○元? そ......それは、けっこうぼったくられてるんじゃないですか?


――と、こちらとしては、まあまあ奥さん落ち着いて落ち着いて、と肩のひとつもポンと叩きたくなるほどのまいあがりっぷりでした。


二日目、三日目と日程が進んでも、この奥さんのピュアな感激ぶりはいささかもおとろえませんでした。
たとえば水墨画のような山水の景色で有名な桂林。川下りの観光船の中、次々と現れては消えていく山々や田園風景に「きれいねえ、すてきねえ」と涙を流さんばかりに感激し、船内で出された、いかにも「観光客仕様!」といった感じのお仕着せのランチにも「まあ、これが桂林名物なのね。まあ、おいしいわ、おいしいわ。あら、この川エビの唐揚げ、ほんとうにおいしいわね、これ、もう一皿追加するわ。みんなで食べましょうよ。いいのいいの、遠慮しないで。大勢で食べた方がおいしいし。それに、みなさんとこうやって一緒におしゃべりしながら旅行できるのがうれしくてしょうがないの」とみんなに追加の料理を振る舞ってくれました。


桂林で立ち寄った、中国の少数民族の昔ながらのたたずまいを再現した「桃源郷」というテーマパークでもそうでした。私たちは、「『桃源郷』という名前もずいぶんとベタよねえ、これ見よがしに植えてある桃の木なんか、明らかに作り物っぽいよね。『少数民族の昔ながらのたたずまい』って言っても、あそこでおみやげ売っている人なんか思いっきり茶髪だし。民族舞踊や歌を披露している若者たちなんか、一日中なんどもおなじことやっているから、ほら、もう完璧にやる気ないし――」などと、意地悪くつっこみどころばかり探していたのに、Kさんの奥さんは、いかにもやる気なさげな少数民族の若者たちの群舞にはリズムに合わせて、心から楽しそうに一緒に手を叩き、いかにも観光客向けに糸車や機織り機に向かっている姿に、「まあ、ほんとに器用なのね、上手なのね。かわいいわねえ!」とひとしきり感激。あまり写真を撮らない私たち夫婦を気にして「あなた達、まだ二人だけで写真とっていないでしょ? さあさあそこに並んで。うちのお父さんに頼んで撮ってもらうから」と、何枚も私たちのツーショットを撮ってくれました。


帰りの車の中でも「あの桃の花! きれいだったわねえ。歌や踊りも見事だったし、ほんとうに『桃源郷』だったわね。私、まだ夢の中にいるみたいよ」と深々とため息をついて感激していました。


奥さんの目にはすべての風景が、建物が、お料理が、人々が、みずみずしく光り輝いて見えて、それらに接することのできる幸せに心から感謝しているようでした。


そんな奥さんの姿を見ているうちに、私は自分自身の旅のスタイルについて、ちょっと考え込んでしまいました。


海外旅行も回を重ねるごとに、最初に味わったような感激は次第に薄れてきて、ありきたりの観光地でありきたりの経験をするのがなんだか気恥ずかしいような気がしていました。「お上りさん」だと思われて現地の商売人になめられちゃいけないという警戒心もあって、無防備に感激することをセーブしていたようなところがありました。あれこれつっこみどころを探して、シニカルに、ナナメに見るクセがついていたのです。裏を読んだり、ひねったものの見方をするのが、なんとなく「賢そう」な気がしていたのです。でも、この奥さんが、あまりにもピュアに旅を楽しんでいる姿を見て、そうだ、こうやって素直に物事と向き合う姿勢って長い間忘れていたな、と思ったのです。


唇のはしを少しゆがめて「これって○○だよね」「これは前に見た○○と同じ」とクール(?)に旅するよりも、Kさんの奥さんのようにすべてのものに心を開いて、素直に受け入れて、喜び、感謝していた方がどれだけ楽しいか。どれだけ世界が広がるか。「私はもうつまんないことで喜んだりしないの」と言っているうちに、自分の方がどんどん「つまんない人間」になっていているような気がします。


旅の最終日、ホテルでお互いの住所交換をして、「今回の旅行は、Kさんご夫妻とご一緒できたことが一番うれしかったことです。旅って、一緒に歩く人々しだいでこんなにも楽しく充実したものになるんだということに改めて気づかされました。ほんとうにありがとうございました」と挨拶したときに、Kさんの奥さんは「私には娘がいないの。だから、あなたと旅行している間、ずっと娘と一緒に旅しているような気がしてとってもうれしかったのよ。ほんとうにほんとうにありがとう!」と、涙を流しながら、私の手をしっかり握ってくれました。私も少し泣きました。


幸せなら手を叩こう。素直に感動しよう。心を開いて周りを見よう。Kさんの奥さんみたいに。
Kさんの奥さんの「すてきねえ。きれいねえ」という明るい声は、旅が終わって一ヶ月経った私の耳に今も響いています。幸せなら手を叩こう、幸せなら手を叩こう、幸せなら態度で示そうよ、ほら、みんなで手を叩こう。