ガラス越しの『全員集合!』

昨日見たDVD「踊る大捜査線 THE MOVIE」にいかりや長介が出ていました。ドリフの頃の長さんは、いつもおっかない顔してヒステリックに怒鳴ってばかりで、子どもの私は「志村をいじめる憎たらしいヤツ!」と思っていたのですが、晩年、俳優として活躍していた長さんは、ほんと渋くてかっこいいですね。


4年前、彼が亡くなったときに、こんな文章を書いたことを思い出しました。




――1970年代から80年代前半にかけて子ども時代を過ごした人なら、たいていそうだと思うけど、私もまた幼い頃に「『全員集合!』」の洗礼を受けたドリフ世代である。「カーラースー、なぜ鳴くの〜」とくれば、「カラスの勝手でしょ〜」であり、「タブー」のテーマが流れれば「ちょっとだけよん」と悩殺ポーズをとりたくなる。ババンババンバンバン♪ とくれば、「宿題やったか?」「歯磨けよ」と合いの手を入れずにはいられない。19歳で上京して、初めて西武新宿線の東村山駅を通過したときには「ををを! ここが、あの東村山か! イッチョメ、イッチョメ、わーお!」と口ずさんでしまった。カラダの一部にしっかりと「ドリフDNA」が刻印されているのである。

 
土曜の夜、8時にはご飯もお風呂もトイレも済ませ、万全の体勢でテレビの前に陣取り、長さんの「8時だヨ!」のかけ声と一緒に「全員集合!」とコールした。志村や加トちゃんのボケに、長さんのツッコミの数々に、涙を流して、ひっくり返って、のたうちまわって笑った。コントがあまりにも面白くて、アイドル歌手の歌のコーナーがジャマでしょうがなかった。時計が8時40分あたりをさすと、「ああ、もうすぐ終わっちゃう......」と、いつも寂しくなった。


両親は「言葉が汚い」「食べ物を粗末にする」「下品、くだらない」と、私たちきょうだいがドリフのコントに笑い転げているのを苦々しく見ていたけど、私は、「どうしてオトナはこんなに面白いモノが判らないんだろう。かわいそうにな」っていつも思ってた。


『全員集合!』と言えば、忘れられない思い出がある。


あれは私が10歳くらいの頃かな、なにか悪いことをして、母にひどく叱られ、罰としてオモテに出されて部屋の鍵を閉められた。我が家定番の「締め出しの刑」である。私はかなり物心ついていたので、いまさら「締め出しの刑」を食らっても痛くもかゆくもなかったのだけど、折しもその日は土曜日。もうすぐ8時になるという時間だった。私は泣いた。自分の犯した罪を悔いているのでも「締め出しの刑」がつらかったからでもなもなかった。「『全員集合!』が見られない!!」という悲劇に見舞われたことに、身も世もなく泣いたのである。いまから思うと、母は、私が一番楽しみにしていた『全員集合!』を見せないというところにこの罰の重点を置いたのだろう。


おいおい泣きながら、窓ガラスをドンドンとたたき、「お母さんごめんなさい。もうしません。もうしません。だからお部屋に入れて!」と訴えても、ガラスの向こうの母は知らん顔だった。時計が8時を打った。居間からは長さんの「8時だヨ!」「全員集合!」のかけ声が聞こえた。


ああ、『全員集合!』が始まる。一週間のうちで一番楽しみにしている私のゴールデンタイム。でも私は見られない――大好きな『全員集合!』は見られないんだ――


母が私を解放する気配がないことがわかり、悲しさと悔しさで泣き疲れ、意気消沈して窓にもたれてぼーっとしていると、当時幼稚園に行くか行かないかという年だった弟が、「ねえちゃんがかわいそうだ」と言いながら、居間にあったテレビを窓際までえっちらおっちら押してきて(そう、当時のテレビはやたらとでかく、重かった)、窓ガラスにぴったりと押しつけ、ボリュームを最大にして、「ねえちゃん、聞こえる? 見える?」と、私に『全員集合!』を見せてくれた。
  

汚れてくすんだ窓ガラス越しに、ドリフの学校コントが見えた。聞こえた。私は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、志村の頭にタライが落ちてくるギャグで笑った。

 
今日、くりかえし流された、長さんの葬儀の映像を見ながら、私は、あの夜のガラス越しのドリフターズを思い出した。あれから20数年。あの夜、私に『全員集合!』を見せてくれた弟は2歳の女の子の父親になっている。私は、オトナになり、どんなお笑い番組を見るのもいっちょまえに「評論」しながら見るようになったし、涙を流して笑うこともなくなった。『全員集合!』を見ていた頃のように、あんなに無防備に、心の底から笑うことなんて、もうないだろうと思う。誰かを、なにかを小馬鹿にして「嗤う」ことは多くなったけど。


あのころ、土曜の夜8時を首を長くして待っていて、笑い転げた日々のことは一生忘れない。あの頃の、あの時間、あの番組は、間違いなく幼かった私の、私たちきょうだいの、私たちの世代の至福の時間だった。


夜、追悼特別番組で久しぶりに見たドリフのコント。もう、二度と見ることはできないんだと思うと、もう、二度とあの至福の時は戻ってこないんだと思うと、まだ若く、元気だった頃の長さんの姿が、あの夜と同じように涙でにじんだ。


ありがとう、長さん。安らかに。――



 
 
2004年3月25日の日記より