ふつうに食べてよ

スカパー!の「フーディーズTV」で、マクロビオテック料理の特集番組がありました。最近野菜中心の食生活を心がけているので、献立のヒントになるかしら、と思って見ていたのですが、その番組に出ていたマクロビ料理専門の料理研究家が、
「食材の持つ『気』を大切にしましょう。特に朝ご飯は、『気』をたくさんもった食材をたくさん食べて、一日に使うエネルギーを食材からいただきます」
とかいう話をしはじめて、なんかイヤーンな予感が。


その料理家は続けて、
「『朝はパン食』という方も多いと思いますが、パンというのは、小麦を粉砕してこねてたたいて、それから小さなオーブンに入れて、180度から200度くらいの高温で一気に焼いたものなんですね。だから、食材が持つ『気』や『エネルギー』が閉じこめられちゃっているんですよ。朝はできるだけエネルギーが開放されたものを摂取したいので、どうしてもパン食にしたいのなら、天然酵母で作られた全粒粉のパンを、いったんせいろで蒸してあげてください。せいろの蒸気のちからで『気』が開放されて優しい味になります」
と言っていました。


『気』がたくさんある料理とはすなわち、大地の恵みをたくさん受けて育った野菜(無農薬有機栽培ということか)や玄米などで、できるだけ手を加えずに、たとえば皮をむかずにそのまま蒸して食べて、食材から「命を分けてもらいましょう」ということらしいです。


なんじゃそりゃ。
そりゃあ、無農薬有機栽培の野菜ならただ蒸しただけでも美味しくいただけるとは思うけど、『気』とか『エネルギー』とか、宗教がかった思想が入り込んでくるととたんに萎えちゃうんですよねえ。「パンはエネルギーが閉じこめられた食材」なんていうのも、それを言うなら、たとえば玄米ご飯だって「大地の恵みを受けて育ったお米を、無理矢理刈り取って皮をはいで、水でざぶざぶ洗って、小さな釜の中に押し込んで、高温で20分くらい熱し続けたり、圧力をかけたりして炊いたもの」なわけで、これだって『気』が閉じこめられているって言い方も出来るよね。


この料理研究家みたいなマクロビな人々にとっては、現代人の食生活は目を覆うばかりに汚染されまくり乱れまくりで、「気」も「エネルギー」もへったくれもなく、だからこそ無農薬有機栽培の野菜だったり焼いてあるパンをわざわざ蒸して食べたりするんだろうけど(でも、それって、びちゃびちゃしておいしくないと思うんだけど)、マクロビを信奉するあまり、科学的根拠まったくナシに既存の食材や食文化を変な風にねじ曲げて考えるのはやめて欲しいなあ。そういう押しつけがましさ、新興宗教めいたところが、私が常日頃「マクロビ原理主義な人々」に対する違和感のモトなのです。もっとさー普通に食べようよ、普通に。


「おいしいよ!食べてみて!」でいいじゃんねえ?