あこがれの秋

石垣島に住む叔父から手紙が来ました。知り合いの果物農家から葡萄と梨の詰め合わせを送ったので、そのお礼です。

葡萄と梨、ありがとう。ふたりで思い切り食べた。ほんとに美味かった。

僕が葡萄を初めて食べたのは、与那国島から初めて上京した35歳の時だった。甲府の石和という所で、妹と一緒に葡萄棚の下で食べた。日本は豊かでいいなー、と思った。

そのころ僕の弟と妹は東京で働いていた。義兄・義弟・義妹も東京にいた。彼の生活がうらやましかった。
葡萄を家で待っている妻やこどもたちに食べさせたいと思ったが、鹿児島から船で帰るので、どうにもならなかった。

終戦直後、米軍の野戦用の弁当(ration)の中に入っていた乾し葡萄を見て、それが何であるかもわからなかった。おふくろが乾燥葡萄だと教えてくれた。今でいうレーズンだ。この葡萄の生るアメリカに憧れた。

37歳の時、3ヶ月の研修で二度目の上京をした。千葉の柏市に在った寮で、初めて梨を食べた。
子供のころ、教科書で林檎や梨、葡萄などを見ていたが、どんな味がするのか、想像を逞しくしていたのだ。
「桃太郎」の桃。内地の桃を見て吃驚したし、「猿蟹合戦」の柿もしかりだ。

そんな他愛もないことを思い出しながら、ふたりで懐かしみながら戴いた。本当にごちそうさまでした。ありがとう。

うがい、手洗い、マスク。インフルエンザに注意のこと。

では、また。


叔父は今年75歳で私の父親の世代ですが、叔父が抱いていた「日本(ヤマトゥ)への憧れ」は私もよくわかります。私が子供の頃は叔父の時代よりははるかにモノも情報も流通していましたが、今みたいに本土で出回っているものがすぐに手にはいるわけではなく、特に四季折々の季節の果物や草花などはなかなか見られませんでした。なんてったって常夏の島。夏以外の季節、「春」「秋」「冬」を感じさせるもの、すべてがあこがれです。合唱の時間に「♪しずかなしずかな里の秋 おせどに木の実の落ちる夜は〜」なんて歌っていても、沖縄じゃ落ちてくる木の実っつったらシークァーサーかバンシルー(グァバ)くらい。「♪秋の夕日に照る山紅葉」と歌っても、沖縄じゃ真冬でも木々は青々しているんだもの。


今は実家のすぐ近くにでっかいジャスコができて、葡萄も梨も柿も買うことができるようになったけど、だいぶ割高。鮮度も落ちています。旬の梨や葡萄を思い切り楽しむのはプチ贅沢です。幸い、私の住む茨城県は日本有数の農業県。送った葡萄も梨も、もぎたてでぴっちぴちにみずみずしくてジューシー。なにより旬のものは安い。秋のお裾分けには最適です。喜んでもらえたようでなによりです。


叔父は長年石垣島の気象台に勤めていました。定年後は趣味の俳句で大きな賞も受賞し、八重山毎日新聞に「島の歳時記」という連載を持っていました。これは9月17日に掲載されたものです。

白夏(すぎなつ)や畦焼く人の遠会釈      礁湖


――――おもろ語(琉球古語)には、春と秋という言葉がない。沖縄では長い夏と短い冬だけが目立ち、春と秋の感じが乏しいからだ。「うりずん・若夏」が春から初夏、また「白北風・初北風」が初秋から秋に相当する言葉であったのだ。秋という言葉がないから、夏を衰えさせて「白夏」と呼んでいたのだ。秋に色を配するならば白である。「石山の石より白し秋の風」という芭蕉の句もある。
夏の太平洋高気圧の支配下から、大陸から来る秋の気団に変わる九月半ば頃からの風や空の微妙な変化をとらえて、白夏・白北風と呼んだ島の先人たちの感覚には、きっと素晴らしいものがあったに違いない。


日本のようなメリハリはないけれど沖縄にもちゃんと四季があって、その繊細なうつろいを敏感に感じ、いとおしんでいる人もいるのです。