音姫様のご公務

音姫ってあるじゃないですか。トイレで(小)をするときの音を消すために電動式で「ざざーーっ」という水音が流れる装置。そもそもは、女子が(小)の音消しのために用を足しながら水洗、足した後でまた水洗をしていたので、「水の無駄遣いMOTTAINAI!」ということで導入されたものですよね。


私がはじめて音姫様にであったのは、大学生の頃バイトしていた東急プラザのトイレでした。当時は「音姫」という名前ではなくて、音声も今のような水洗音ではなく、ビバルディの「春」の電子音。「せせらぎ」という名前がついていました。ボタンを押すと軽やかに「ちゃーちゃちゃちゃちゃららーちゃらちゃちゃちゃちゃらら〜」と軽やかな音楽が流れました。


沖縄から上京したばかりだった私は心底驚いて、「へえ、ビッグシティ東京にはこんな特殊な機械があるんだねえ。びっくりさあ〜」と感心したものです。しかし、あのシステムだと、(小)の前後が明確に区別されているわけで、外にいる人は「春」が流れているときは「今まさにじゃあじゃあやってるわけね」と思い、そのあとの水洗音で「ああ、じゃあじゃあが終わって流してるわけね」と思われてしまう。「じゃあじゃあやってる」のを知られたくないための機械なのにまったく意味ないじゃーん!と文句を言っていた同僚がいました。彼女は「せせらぎ」は使わず、あくまでも2度水洗にこだわっていました。そのへんの不満点が改良されたのが現在の音姫様なのでしょう。


でもさー、ヘンですよねえ。だってトイレって「じゃあじゃあやる」為の場所でしょ? やっているところを知られたくないために、トイレに行かないというのならわかるけど、用を足すためにトイレに入って、やるべきことは一つなのに、そこで行われている作業ははすべての人類が等しく同じように行っているはずなのに、なぜいまさら恥ずかしがるんでしょう。ヘンなの。私はそんな過保護な文明の利器はいらないわ。トイレでじゃあじゃあ、なにが悪い?と、世の中のスカした風潮に反発して、長い間「使わない派」でした。


でも、ある日のこと。デパートのトイレで用を足して手を洗っていたとき、私の後にものすごい勢いでトイレに入って、ドアをばたんと閉めるなり「じゃーーーー!!」とスバラシイ勢いで用を足したおばさまがいたのです。「あらあらよほどせっぱ詰まっていたのね」と思っただけでしたが、私の隣の鏡の前でメイクをなおしていた二人連れの若い女性が互いに顔を見合わせて「どうよ?」「ねえ?」と目配せあっていたのです。口にこそ出してはいませんでしたが、二人とも「あんなに高らかに音を立てて、みっともないわ」と思ってたに違いありません。


そのときの冷ややかな目つき、けっこうきつかったなあ。ついさっきまで私もそこでじゃあじゃあやったんだけどなあ。あの音も誰かが聞いてて「どうよ?」「ねえ?」と眉をひそめられたりしたんだろうか。と思うと、なんだか急に恥ずかしくなってしまい、チキンで八方美人な私は、それ以来、不本意ではあるのですが、音姫様にお出ましいただくことにしたのです。「じゃあじゃあ音を出すのが恥ずかしい」のではなくて、「じゃあじゃあ音を出す恥ずかしい人」と思われるのが恥ずかしいのです。


でも、音姫様がいらっしゃる場合はまだいいのです。だってあれは音が出るだけだもの。問題は音姫様ご不在のトイレ。エコなこのご時世、自分の「じゃあじゃあ音」を消すために一回よけいに水洗レバーを押すのはMOTTAINAI!水洗一回につき20Lくらいの水を使うそうじゃないですか。だから音姫様がご不在の折りは、ものすごく息を殺して「じゃあじゃあ」が「ちょろちょろ」になるように力を入れるか、「じゃあじゃあ」しながらトイレットペーパーホルダーのふたを意味なくガチャガチャしたり、せき込んでいる振りをしたり、できる範囲で音姫様代わりの音を自作します。または隣の人がダブル水洗派だったら、ラッキーとばかりにタイミングを合わせて同時に用を足したり。バカみたいですが、いろいろ工夫しているのです。


でも、周囲を見回すと、音姫様不在の折はみなさんわりと躊躇なくダブル水洗を実行されているようです。うーん、やっぱMOTTAINAI。みんなほんとに「じゃあじゃあ音、恥ずかしい」と思ってるのかな。「じゃあじゃあ音を出す人と思われたくない」からほんとは「意味ないよね〜」と思いながらも同調圧力音姫様をつかってるんじゃないだろうか。「じゃあじゃあ音」ってそんなに恥ずかしいか? そんなに不快か? もし、現在の民主政権で「トイレでのダブル水洗禁止!違反したら罰金5万円! 密告奨励!」というような法律ができたら、みなさんあきらめてじゃあじゃあ音をONにするんでしょうか。いやいや、どっかのケータイ電話会社が「じゃあじゃあ音隠し用着メロ」なんつーのを発売しそうだな。


で、ここで素朴な疑問。男性トイレにも音姫様はいらっしゃるのでしょうか? そしていわゆる立って用を足す男便所でも「じゃあじゃあ音を立てるのカコワルイ!」というような空気があって、音消しのためのダブル水洗とかしたりするんでしょうか? 個室で(大)の方をするときは音姫様にお出ましいただくんでしょうか? そして、トイレにおける「じゃあじゃあ」「ぶりぶり」音、できれば聴かれたくないと思ってしまいます?そして、音姫様を使ったり、ダブル水洗をして「じゃあじゃあ音」を消す女子のことは、やはり奥ゆかしく感じるものなのでしょうか? 自分の彼女がトイレで「じゃあじゃあ音」をさせてたら幻滅しちゃう?


トイレでの「じゃあじゃあ音」を恥ずかしがる不思議な羞恥心は日本独特のもののようです。そういえば外国のトイレじゃ見たことないもんね。アメリカでもヨーロッパでもアジアでも、みなさん心おきなくじゃあじゃあされていました。でも、日本のトイレは世界最高品質で世界中に輸出されているから、音姫様もウォシュレットのように世界標準になるかもしれません。音姫様と同時に新たな羞恥心も輸出するニッポン。音姫様、海外ご公務の日も近いかもね。