我が青春のオムレツ

「ラケル」の看板

ここでも書いた、つくばのショッピングモール・Q'tのレストラン街に「ラケル」が入った。ふーん、あの「ラケル」がつくばに来たか。「ラケル」「ラケル」......苦くて甘い、「青春の味」だ。


思い起こせば15年前。一浪の末にようやく念願の「東京の大学生」になれた春のこと。前髪をカーラーでくるりんと巻き上げ、マルイで買った紺のブレザーにリーバイスの505、おぼえたばかりのメイクで今井美樹みたいに派手なルージュを一回り大きく塗りたくって、「これが渋カジよね!」と、自分のいでたちにすっかり満足して、意気揚々と校門をくぐった19歳の私。


いよいよ、いよいよ、今日が私の東京デビューよ。ああ、あこがれのキャンパスライフ、にぎやかなサークル活動、芽生える恋、オシャレなお店でショッピング、沖縄の片田舎でくらーーくモテナイっ娘ちゃんをしていた過去はすべてリセットするの。一年間の浪人は辛かったけど、努力したかいがあった。ようやくここまで来られたんだもの。もう以前の私を知っている人は誰もいない。いままでの私はさなぎだった。これから蝶々になるのよ。今日からがホントの私の青春なのよ!――考え出すと、わくわくしてきて胸が苦しくなるほどだった。


新学期が始まったばかりの大学構内は、サークルの勧誘のビラがあちらこちらで配られていた。私は迷わず放送研究会のテントを探して入っていった。そのころの私の夢は「東京の大学を卒業して、テレビ局に入社して、アナウンサーになること」だったから。


ったく、若気の至りとは恐ろしい。当時はそれがどんなに大それた身の程知らずの夢であったのか考えもせず、努力すればなれる、明るく華やかな「向こう側」の世界の住人にきっとなれる、と思っていたのだ。


放送研究会は人気サークルで、私以外にも新入生が20人ほど入部を希望していた。じゃあ、軽く食事でもしながら説明会をするからね、と連れて行かれたのが渋谷の「ラケル」だった。


「サークル仲間と渋谷で食事」。いままでドラマや雑誌の世界にしかないと思っていた出来事が、私の日常に入ってきたんだ......そう思っただけで私は緊張した。今日の出来事を手紙に書いて沖縄の友人に送ってやろう。みんなびっくりするだろうな――店に入る前からそんなことばかり考えていた。ほんとうに私ってのぼせあがりやすいヤツだったんだな。今になってつくづく思う。


ラケル」の入り口には掲載された雑誌の切り抜きがたくさん貼られていた。うわ、雑誌にも載っちゃうようなオシャレな店なんだ。それでさらに私はコーフンした。当時人気急上昇中だった「渋谷系芸能人」田中律子が「渋谷でショッピングするときは必ずラケルで食事をします。ここのラケルパン、最高!」というコメントを寄せていたのを今でも覚えている。


テーブルにつくやいなや、2年生の女の子が「ちょっとちょっと、はせべっち(○○っち、という呼び方も、ウチナーンチュの私には新鮮だった)、火、貸してくんない?」と男子学生からライターを借りてタバコ(バージニアスリムイトメンソール)を出して吸い始めたのに度肝を抜かれた。女の子なのに堂々とタバコ吸っている......しかも、なんだか細くて長くてキレイなタバコだ......なんか、すっげーかっくいい!


「あ、やべー、昨日の酒がまだ残ってるよ。これからバイトなのになあ」「昨日、飲み会だったの?」「うん、サンチャ(三軒茶屋)で。マツイも来ればよかったのに」「あ、おい、ヤナカ、午後の必修、どうする?」「バックレだよ、もちろん」「あれ、代返きかないんだっけ?」


......耳に入ってくる会話はすべて標準語。「あのさあ、してからさあ、だからよ〜、なんでかね〜」というのらりくらりとしたウチナーグチを聴いて育った私には、そのイントネーションすら新鮮だった。つい先週まで沖縄にいて「なんだわけ〜、わじわじ〜する!」とか言ってたくせに、ワタクシ、生まれも育ちも東京世田谷でござい、という顔をして華麗に標準語を操った(つもりになっていた)。


運ばれて来たオムレツを食べながら、私はすっかり満足だった。「東京の大学」で「渋谷」で「サークル」で「雑誌に載っちゃうようなオシャレなお店」で食事をしている、それだけでもう何事かを達成したかのような気になっていた。


本当は気がついていたのだ。男子学生の目が、一緒に入部した、際だってキレイな女の子1人に注がれていたことも。きょろきょろと物欲しげな目をしてコーフン気味に自己紹介する私を、みんなが鬱陶しそうに見ていたことも。小さなパッとしない私立大学の放送研究会に入ったからといってアナウンサーなんかになれるわけないってことも。みんながみんな、ラクしておいしい思いをすることばかり考えていて、頭の中身は空っぽだったことも。ただ、なんとなくその場がにぎやかで、笑い声と冗談の中にいれば、それだけで自分がとても充実した青春を送っているような気がしたのだった。


一ヶ月もしないうちに、私は放送研究会をやめた。1人として気の合う人はいなかったし、やっていることはどっかのFM局のなんちゃってDJみたいなことばかり。「アナウンサーなりたいって? ウチの大学で?」と笑われたこともあったし、そのころには私も、「テレビ局のアナウンサーになりたい」という夢が、どれほど大それたものだったのか気づき始めていた。


私がやめたからいって声をかけてくれる人は誰もいなかった。マイクに向かってしゃべるということは、長い間、私のあこがれだったけど、あんな、なんちゃってDJみたいなしゃべりを身内に聴かせてもつまらない。中学生の頃、「全校のみなさん、おはようございます。朝の自主勉強の時間です。今日も一日、一生懸命勉強しましょう」と校内放送しているときの方が、はるかに真面目で楽しかった。


いろんなものに急速に失望して、急速に退屈な日々がやってきた。学内のベンチに1人で座って、誰かが話しかけてくれるのをいつまでも待っていた。でも、私は沖縄の友達に電話をしてはよくこう言った。「サークルの人たちとよく食事に行くよ。渋谷にね、ラケルって店があるんだ。雑誌なんかにもよく載るオムレツのお店。すごくオシャレだから、今度東京に遊びに来たら案内してあげるね」――。ほんとうは、人に紹介できる店なんて「ラケル」しか知らなかったんだけど。


こないだ、Q'tに行って、レストラン街でなつかしい「ラケル」の看板を見つけた。バターがじんわり溶けたベイクド・ポテトにふんわりたっぷりのオムレツ。ふかふかのラケルパン。メニューはあのときのままだった。


15年前の春に戻れるのなら、渋谷のラケルに行ってみたい。そこで、下手なメイクと似合わない紺ブレを着た、好奇心と期待で胸をいっぱいにふくらませて、でもとても不安げな、のぼせ上がった19歳の頃の私に会ってみたい。そしてこう言ってあげるのだ。


「あなたが欲しがっていたような青春は東京にはなかったけど、これからしばらくは、随分寂しくてつまらない日々を過ごすことになるけど、でも、やけを起こさないで。15年後のあなたは、あなたが望んでいたようではないけど、でも、そこそこ幸せにやっているからね」