ネズミ車ダイエット

ここんとこの私は「週に3,4日は走る」「寝る前は必ず筋トレ」「高脂肪食は避ける」という健康優良児的な生活。久しぶりにあった友人・知人からは「あれ?痩せた?」と言われるようになった。今年の正月明けにうけた人間ドックの時のカルテを確認したら5kg減っていた。減少の幅が緩やかだったので気づかなかったけど、過去10年で最軽量である(あくまでも当社比)。「肌がキレイになったね」とも言われるようになったし、やっぱり少しずつ代謝がよくなっているのかな。うふふ、このままどんどん痩せて、長谷川理恵みたいな美ジョガーになっちゃうんだもん♪


と、絶好調な先週末、真夏のような暑さの中を10kmほど走って、帰宅してシャワー浴びて、洗い髪を乾かしながら缶チューハイ一気呑み! かーーーーーーっ!! 私腹!じゃなかった至福!! 体を動かした後のシュワシュワ系のお酒って世界で一番うまいよね! サイコー!!
おつまみに高菜と厚揚げのピリ辛炒めとスイートコーンの缶詰でバターコーン作って、缶チューハイもう一本空けて、「でもシメにはちょこっとご飯も食べたいよね」と、キムチでご飯を一膳食べて、いい感じに酔っぱらったままその晩は爆睡。


翌朝起きて体重測ったら......1.5kgも増えてるじゃないですか奥さん!!半年かけてこつこつ減らした5kgの脂肪、たった一晩で3割近く元に戻るなんて人体の神秘もいいとこよ。いったいどーなってるの??


そりゃあ、調子に乗ってチューハイ2本もあけた私が悪かったわよ。でもさ、普段の食事では揚げ物は食べない、洋生菓子は食べない、外食した次の食事はざるそば、晩酌はワイングラス2杯まで、ってあれこれ気をつかってさ、土砂降りの日以外はなるべく走るようにしてさ、毎晩ダンベル振り回して、半年かけてようやく減らしたのに、たったいちどの過ちで......。むごい、むごすぎる。


まあ、また明日から頑張って運動して節食すればいいだけの話なんだろうけど、なんだかな〜。いい加減空しくなるわよね。いつになったらなんの屈託もなくおおらかな気持ちで食べたり呑んだりできるんだろう。食べた分以上は有酸素運動で必ず燃焼させないとどんどん脂肪をため込む体質のなのか私は。目標体重に到達しても、安心して普通に飲み食いしていたらあっという間にもとのもくあみっていうこと? 私は死ぬまで食べた分は走って、走らなければ食べるのを我慢する、の繰り返しなのかしら。ネズミ車をくるくる回しているネズミになった気分よ。


そうかと思えば、私より外で飲み食いする機会が多くて、私の10分の1も運動していないオットは、なーーーんも心がけていないのになにをどうやっても太らない。こないだついに体脂肪率がヒト桁になったと言っていた。なんで? なんでなの? 私の方が何倍も何倍も努力しているのに!
なんかもう自暴自棄。いいよもうヤケ酒だ!(←それがいかんのだって)

「多様性に気づく、多様性を築く」

先日、つくば市民大学で開催された「多様性に気づく、多様性を築く〜『いけばな』を通して〜」という講座に参加してきた。いやあ、これが実にね!よかったですよ! 講座が終わった後は道行く人すべてに握手して「ありがとう!みんな、ありがとう!」って言いたくなったくらい。



この講座は「多様性」をテーマにしているだけあって様々な立場の人が参加していた。目でものを見る「見常者(けんじょうしゃ)」、触ってものを見る「触常者(しょくじょうしゃ)」、車いすユーザーの方。職業も鍼灸師、フリーター、会社員、お花の生徒さん、語学コンサルタント、フォトグラファーと様々。普段の私の生活範囲ではまず知り合う機会のない人たちと出会える貴重な場である。


講師は私のお花のお師匠さんでもあるmiri先生。最初はいけばなの歴史についてのレクチャー。さらに草月流創始者勅使河原蒼風の「花はいけたら人になる」という言葉をひきながら、「花をいけるこころ」とはどういうことか、ということを先生自身の体験もふまえながらのお話。


次は実際に花をいける過程をみなさんにみてもらうデモンストレーションを3つ。
先生の不肖の弟子・ワタクシもデモンストレーションさせてもらった。見よ、この絢爛豪華な大作!......ではなくて、バラ一輪、ニューサイラン一葉の超ミニマルな作品。「一花一葉」、生け花の基本のキの形ですね。


もう一人のベテランの生徒さんのデモンストレーション。こちらはうってかわって見事な作品。白いガラス器と赤いワイルドキャットの対比がきれい。


やってみてわかったのだけど、デモンストレーションというのは観客にむかっていけていかなければならないので、自分は花器の後ろ側からいけていかなければならない。つまり自分で正面が確認できないということ。これは大変。私みたいな超簡単な作品ならまあ何とかなるけど、性質の違う様々な花材を取り混ぜて、高低・奥行き・広がりもった作品を後ろ側から形作っていくのは至難の技だ。豊富な経験とイマジネーションのなせる技ね。


こちらが先生の作品。観客にむけてあれこれレクチャーしながら、ものの10分足らずの時間でこんなに堂々とした作品ができあった。ただの「材料」だった花や枝が、先生の感性であっという間に見事な「作品」になっていく課程はまるで手品を見ているようで、仕上がりが近づくにつれて観客からは感嘆の声が挙がっていた。


さて、この場の「観客」の中には「触常者」の方がいる。彼らにこの作品の美しさはどう伝わるんだろう? どう伝えればいいんだろう? 私はずっとそのことを考えていて、先生がデモンストレーションをしている間、目を閉じてみた。


「これが夏ハゼ。こちら側から見た角度がとってもきれいですね。いかにも初夏らしいさわやかな緑です」「鮮やかな黄色のオンシジュームを前面にに豪華に使いましょう」「この変わった模様の花はワイルドキャットっていうんです。まだらの模様が猫に似ているから?」「この楓は枝振りがきれいなのでうーんとひろげてみましょうね」「かわいい形のギガンジュームをアクセントにして......」


先生の言葉の合間合間にパチンパチンと枝を切る音が聞こえる。目をつぶって聞くと、「枝を切る音」にも音があることに気づく。細くて柔らかい枝を切る音、太くて固い枝を切る音、力のいれ具合によって音の表情も様々だ。「ほら、このバラ、とってもいい香りでしょう」「こんなに大きく、両手をいっぱいに広げたよりも大きくいけられているんですよ」「ギガンジューム、触ってみてください。ネギ坊主みたいでしょう」と、香りをかいでもらったり、触ってもらったりして、視覚に頼らず、言葉や嗅覚、触覚で「いけばな」を表現しようすると、自分でもいままで気づいていなかった植物の特性や作品の構成が発見されてとても新鮮だった。

触って、香りを嗅いで、いけばなを感じてもらう。


最後はみんなで合作して大作を作るというワークショップ。先生が用意した花材を見ながら(さわりながら)、何をどのように使ってどういう構成の作品にするか話し合いながら、納得しながらみんなでいけていく。


先生が用意した器と花材はどれも超個性的で、「こ、これをいったいどうすれば???」と一瞬呆然としてしまったのだけど、一人一人が持っているイメージを確認し合い、話し合っていくうちに、自分の想像力の2倍3倍の広がりが出てきた。


できあがった作品がこちら。
どうです?とてもお花のシロートさんたちが作ったとは思えないでしょう?



「このままどっかのデパートのエントランスで飾れるよね〜」
「いまから売り込みに行こうか?」」あまりの完成度の高さにみんな自画自賛。予想を遙かに超えた素晴らしい作品になった。解体してしまうのが惜しかった。


「多様性に気づく、多様性を築く」。
講座のタイトル通り、人も、草花も、それぞれがもつ多様性に気づくことによって、新たな多様性をみんなで築きあげることができる。目だけではなく、手で触って、香りをかいで、草花の多様性に気づく。真正面だけではなく、後ろ側にも回ってみて、表現の多様性に気づく。一人で考えるのではなく、みんなで話し合って、それぞれが持つイメージの多様性に気づく。一人ではできないこと、気づかないことでも、たくさんの人とふれ合うことによって何倍もの想像力・創造力が生まれることを身を持って実感した、実に得難い経験だった。


「かかわりあう」って大事だな。


「多様性に気づく、多様性を築く」は連続講座です。
興味のある方はぜひこちらから。


※本文中の画像は一部miri先生からお借りしました。

高いばかりが目標じゃない......けど

またまたランニングネタで、「どんだけのぼせてんだよ〜」と自分でも恥ずかしいんだけど、ほかに書くこともないからしょうがないんです......。


走るようになって始めて知ったのは、ランニングって「成果を試すチャンスが多い」趣味なんだなあということ。インターネットやランニング雑誌を見ればすぐわかるけれど、日本全国ではほぼ毎週のように大小様々なレースが開催されている。東京マラソンみたいなメガ大会になるとエントリー料も1万円くらいと高額になるけど、たいていのレースは2000〜3000円くらい払えば誰でも参加できる。エントリー料には参加賞のTシャツやおみやげの地元特産品も含まれているのでお得な感じ。


週末や休暇を利用して地方のレースに出場して、普段は走れない車道を道いっぱいに広がって大いばりで走って、いい汗かいて、レースの後はゆっくり温泉つかっておいしいもの食べて帰ってくる。日帰りでもいいし、余裕を持って前泊してもいい。観光地をあちらこちら歩き回るだけよりはるかにアクティブだし、食事も温泉も確実に身に沁みるし、今までの練習の成果もわかる。レース出場、なんてまあ楽しいことだらけ♪……かどうかは知らないけど、「レース出場」が日頃のトレーニングの大きなモチベーションになるのは確か。○○人中○位とか、タイム○分○秒とか、成果を数字で確認できるってほかの趣味ではなかなかないこと。日頃孤独にコツコツ走っているだけに、たまには「自分、今このへん」「こだいだより進歩!」「うわー!ちょっとタイム下がった!」と確認しておかないと、私なんか、きっとすぐ飽きちゃう。というわけで、「どっかで楽しそうなレースはないかいな〜」と毎日のようにランネットで探している最近である。

ちなみにこの先の出場予定は
6月27日 嬬恋高原キャベツマラソン(10キロ)
8月29日 赤城白樺湖マラソン(10キロ)
あと、もうすぐエントリーが始まる日光杉並木ラソンもぜひ出たい。帰りに宇都宮でギョーザで打ち上げ!

まだエントリーは始まっていないけど、絶対でてみたいレースは
10月 久米島マラソン久米島には母が生まれた島で、私にとっては第二のふるさとのような島。参加賞のメダルは陶芸をやっている叔父が作っているんだって。
同じく10月 伊平屋ムーンライトマラソン
夕暮れ時にスタートして月明かりの中を走るという異色の大会。紫外線の心配をせずに走れるので女性の参加者がすごく多いのだとか。伊平屋島には友人が住んでいて、前回の帰省で訪問したけど、のんびりしていて、きれいで、しかもあまり観光ズレしていたい、すごくいいところだった。月明かりの中を走るという経験もしてみたい。ただ、久米島ラソンと開催日がかぶりそうなんだよねえ......
11月 つくばマラソン
なんといっても地元つくばの大会ですよ。自宅からスタート地点までは歩いていける距離。これに参加しない手はないでしょう。
12月 NAHAマラソン。言わずとしれた超有名大会。コースも那覇糸満、私が育った南風原町と、子供の頃から慣れ親しんだ街ばかり。


それにしても私のふるさと・沖縄は楽しそうな人気マラソン大会がいろいろあるんだね。宿泊場所を手配しなくても気軽に参加できるのは出身者の大きなメリット。帰省の回数が増えそうだ。


いまんとこ、出場予定のレースは10キロ部門だけだけど、もっと練習を積んで10月の久米島ラソンではハーフ、つくばマラソンでフルをめざすんだもん!ああ、私にはもう栄光のゴールが見える......! 42.19GO!!と息巻いていたら、オットが
「フルはやめておけば?」
と言う。
「なんでよ!私にフルマラソンは無理だって言うの?半年前は1キロも走れなかった私が10キロ完走できたんだもん!まじめに練習すればフルだって!」
「いやいや、そういうわけじゃなくてさ。フルっていう距離にこだわらなくてもいいんじゃないかってこと。特別な訓練を積んできたアスリートならまだしも、普通の(あるいは普通以下の)体力で『なにがなんでもフルマラソン』ってのはどうかなあと思って。今だってちょっと無理するとあちこち故障して大変なのに、フルマラソン走って体にかかる負担ってハンパじゃないんでしょ? そんなリスクを侵してまで42.195キロにこだわらなくてもいいんじゃないかなあ。最近、ホノルルとか東京マラソンとかで、みんなわりと安易にフルマラソンに挑戦しちゃうけど、あれって、登山のビギナーが「とりあえず富士登山!なんたって日本一!」って大挙して富士山に登っているようなノリを感じるんだよね。山に登ったり、走ったりする楽しみって、「最高峰」や「フル完走」だけじゃないでしょ? 10キロレースとかで気楽に走ったほうが楽しいんじゃない?10キロって距離の中でどれだけタイムを縮められるかとかそういう方向でチャレンジすることもできるんだし」


ううむ、確かにそれも一理あるなあ。体力の限界まで自分を追い込んで追い込んで、4時間5時間かけてフルマラソン完走するのもいいけれど、そんなに苦しい思いをしたら逆に走ることに嫌気がさしてしまいそうな気がするなあ。「楽しく走る」のが目的だったら、フルにこだわる必要はないのかも。42.195キロ走り通しても、10キロ走り通しても、どっちがよりエライなんてことはないんだし、故障も怖いしね。このまま10キロレースに出続けて、10キロを極めるという楽しみ方もあるよなあ。


でも、やっぱり「体力の限界」っていう、未知の扉を開けてみたい気もする。心身共に自分がどこで変われるのか、試してみたいんだよね。オトナになると、「人間、努力だけではどうしようもないこともあるんだよね〜」なんて、始める前からあきらめてばっかりだけど、フルマラソンは徹頭徹尾、自分の努力だけで目標に到達するチャンスだもの。高いばかりが目標じゃないけど、手の届く目標ばかりでもつまんないしね。


でもまあ、とりあえずは目前のキャベツマラソンだ。そうとうアップダウンの激しいコースらしいので、実はけっこうビビってる。まずはこのレースを「楽しく」走り通すこと。フルだのハーフだのは、その後考えよっと。

育てる係と飾る係

しばらく前から盆栽にハマっているオット。埼玉で仕事があるときにはその名もズバリ盆栽町というところまで足を伸ばし、あちらこちらの盆栽屋さんを冷やかして歩くのがひそかな楽しみ。見るだけでは飽きたらず、自分で盆栽を買い求めては自己流で剪定したりしていたのだけど、なかなかうまいこと育たないので「これはいっちょう基礎から勉強しなければ!」と、なんと通信制の盆栽教室を受講し始めてしまった。講師はオットが心の師と仰ぐ山田香織「先生」(オットは彼女の名前を口にするとき、かならず「先生」をつける)。こないだ、教材の盆栽が何ヶ月分かまとめてどどーんと送られてきて、我が家のベランダは一気に渋さ炸裂になってしまった。

サザエさんちの波平さんがハサミ片手にちょきちょきやりそうな雰囲気。
毎朝目が覚めるとまっさきにベランダに出て、「ブナの緑がずいぶん濃くなった」とか「アジサイが少しずつ花をつけ始めた」とか言って愛でている。水をやるときもジョウロを高く掲げて、やわらかく霧雨を降らすようにそっとかけている。うちの盆栽たち、私なんかよりよっぽど丁寧に扱われているわ〜。


私はと言えば、「育てる」草花よりも「インテリア」として飾って楽しむほうが性に合っている感じ。一時期ベランダガーデニングに凝ったことがあったけど、気が短いので「たくさん使えば使うほど効き目があるハズ!」と、肥料、除虫剤、農薬などをやたらめったらと使うもんだから、すぐにダメになってしまった。気長に成長を待つ、トラブルが起こったら根気強く観察して原因を除去する、ということができない。そのかわり、造形としての草花、「いけばな」は大好きだ。草月流のお稽古を始めて2年。最初の頃は「教科書通り!!」にしかいけられなかったけれど、最近ようやく好きな器・好きな花材でリラックスしていけられるようになってきた。今日は先日のお稽古で使ったカンガルーポーとバラ、シマバランを使って。


これは、去年の夏に私がいけたウンリュウヤナギの枝をオットが鉢植えにしたもの。一度切った柳の枝はなかなか根付かないらしいけど、春になってしっかり新芽が吹いてきた。オットはやっぱり育てる係。


私たちにこどもがいたら、どんなふうな子育てになっていたかな......と、ふっと考えてしまう。

40歳で40秒

今朝は6時に起きて走る準備。窓の外は小雨だったけど、前回の「あやはし海中ロードレース」で、ざあざあ降りの中、ぐっちょり濡れながら10km完走したのでずいぶん耐性ができた。ちょっとやそっとの雨じゃ私を止めることはできないのさー!というわけで朝ラン決行。30分かけて5キロ。


こないだから走った後に必ずしくしく痛くなった股関節と左足の前脛だけど、毎日たゆまず筋トレしたおかげか、ここんとこ調子がいい。走ることは楽しいけど、ちょっと無理をするとすぐに腰やら足やら膝やらが痛くなってしまうのがほんとにうんざりだった。たかだか5,6km走るだけなのにすぐにカラダがガタピシするのは、やっぱり基礎体力がまだまだだっていうことよね。


最近の私はけっこう真面目に運動していると思う。週に4日は走っているし、毎晩寝る前にダンベル運動30分、バランスボールを使った腹筋を50回、スクワット50回。体重の減りは鈍いけど、体脂肪率は3%落ちている。毎日汗をかいて新陳代謝が活発になっているのか、肌の調子もいいような気がする。
一緒にランチした友人に、「だいぶ引き締まったよ〜!お肌もつるつるになってるし。ランニングの成果だね。今は全然OKだよ!」とほめられた。「いやいや、まだまだだよ〜。せめてあと5キロは減らさないと!」なんていちおう謙遜しておいたんだけど、うれしくなって家に帰ってオットに報告したら、
「『今はOK』ってことは、前はNGだったってことだよね」と指摘された。
(;゜〇゜)


ランニングを始めたことで、ダイエットや美肌に効果が出てくるのはもちろんうれしいけど、一番うれしいのは「昨日の自分を少しでも超える」ってことを実感できること。
5月9日は1km走るのに6分43秒かかっていた。5月10日には6分28秒かかった。そして今日5月12日は6分02秒。ほんの40秒のタイム短縮だけど、40秒だけ、成長したってこと。40歳を過ぎて40秒の成長。ささやかだけど確実な達成感。

彼女のこと――「一緒に撮っている」

「最初は空の写真ばかり撮っていました」
彼女の言葉に胸を打たれた。
一昨年の9月、待ち望んで、ようやく授かったこどもを流産で失った。受けた傷は大きく、しばらくは引きこもり状態だったという。茫然自失の日々が続き、立ち直るきっかけになればとカメラを手にするようになったのは数ヶ月後のことだった。


カメラを手にした彼女に、夫が立派な単焦点レンズを買ってくれた。
「彼なりに私を気遣ってくれたんでしょうね。普段はけっこう財布の紐がかたい人なんだけど、そのときは何にも言わずにポンと買ってくれました(笑)」


「空の写真ばかり撮っていた」時期から次第に人の写真を撮るようになっていった。街を歩くちょっと変わった人に声をかけたり、双子の姪っ子たちだったり……。最近は人物よりも「人の気配を感じる風景」を撮ることが多いとのこと。薄暗い教会の中で揺れるローソク、山登りの途中、登山者がそっと積み上げた石、夜の窓の明かり。


毎日の食事を記録する料理写真ブログも作っていた。料理コンプレックスがあり、それを払拭するきっかけになればとも思ったという。

「私、先端恐怖症なんですよ。今でも包丁を持つと緊張するんです」

去年の大晦日まで続いていたというそのブログをのぞかせてもらったが、パスタと炒り豆腐とおみそ汁の献立だったり、シチューと一緒にきんぴらがあったり、一人の夜はサラダうどんだけだったり……と、ピシッと決まりすぎていない、どこかちぐはぐな取り合わせがほほえましい。そうよね、昨夜の残りものや冷蔵庫にあるもの、いただき物の野菜などを使い回さなきゃいけない家庭料理っていつもいつもアンバランスなものだもの。「そうそう、これがほんとの『おうちご飯』なのよね」といたく共感してしまう。そして、そういうありのままのちぐはぐさを妙に気取ったり隠したりせずに正直に記録しているそのブログに飾り気のない彼女の人柄が見える。


友人や身内にもおおおむね好評だった「ごはんブログ」だが、キヤノンが主催する写真教室などに通い、写真とまじめに向き合うことにより「ただの記録」としての料理写真に飽き足らなくなってきた。

ごはん日記は記録としての続けるために写真としての完成度は度外視していました。これからはそういう適当な写真ではなく、ほんとうに撮りたいものを選んで、きちんとしたものを残していきたいと思ったんです」


「ずいぶんまじめに写真に取り組んでいるんですね」
と感心して言うと、
「今の私には撮ることが必要なんです」
との答え。


待ち望んでいたのに生まれることがかなわなかった我が子。喪失のショックから手に取り始めたカメラだが、いまレンズを被写体に向けているとこんなことを思う。

「カメラを手にすることがなければ、この人たちと出会うことはなかった。きっとあの子が私とこの人たちを出会わせてくれたんだ」

今は、どこかにいるわが子と一緒に写真を撮っているように感じるという。そして、そう思うことによって、ゆっくりと自分の心が癒されていくのがわかるのだと。


彼女が撮った中で私がとても惹かれたのはこの写真。
9月の終わりのある午後。カップの中のラズベリー色のハーブティーの表面に秋の草が小さく映り込んでいる。あたたかいハーブティーの温もり、香り、そっと忍び寄る秋の気配がじんわりと伝わってくる。



「写真を撮ることによって癒されている」
と語る彼女が撮った写真で、癒される人もきっといることだろう。私のように。



※以上の文章は、最近知り合ったある女性をインタビューして書いたものです。掲載の許可をいただいております。

へっぽこランナーはいつも半ベソ

目が覚めたら9時。こんな時間まで寝坊したのは久しぶりだ。最近はトシのせいか、「明日は昼まで寝るぞ!」と気合い入れて床についても7時くらいにはどーしても目が覚めてしまう......っつーか、いつも変な夢見て「うーんうーん」ってうなされる感じで目が覚めちゃうんだよなあ。
ちなみに、私が見る夢はいつも同じ要素が含まれている。

  1. 時間に間に合わない。
  2. せっぱ詰まった状況で、大事なモノを忘れる。
  3. みんなが準備万端なのに、自分だけなんにもできていない。

の3つ。夢の中ではいつもいつも「どうしようどうしよう」と焦って半べそかいている私。潜在意識に「ズレてしまうことへの恐怖」が常駐してるんだろうか。いずれにせよ、夢見はあまりよくない。目覚めてホッとするのが常。「夢ならさめないで〜」ってうっとりしてしまうような、楽しい夢が見たいなあ。


昼、オットが立ち上げた「つくば市民大学」での単発講座を受ける。
知的障碍者と共同生活をしながら有機農業に取り組んでいる人、バリアフリー学習会を主催している人、語学コンサルタントをしている人、老人施設でマッサージをしている視覚障碍のある人、障碍者伴走をされているランナーの人、いけばなの先生、歯科衛生士の人......普段の生活ではまず知り合う機会がない人々と、2時間近くのワークショップ。いろんな視野からの話が聞けてとても楽しかった。


視覚障碍を持つ人がワークの間中ずっとケータイを使って何かを入力しているので、「それなんですか?」ときいてみたら、音声付きメモ機能なんだとか。キー入力がそのまま音声で読み上げられて、ちゃんと同音異義語の変換候補まであってびっくり。たとえば「あめ」と入力したら、音声で「雨風のあめ」「甘いあめ」「天照大神のあめ」といくつも候補が読み上げられるのだ。なるほどね〜。その方はこのメモ機能を駆使してワークショップの内容を逐一メモしていた。「このケータイはナビ機能も充実しているんで行ったことのないところに行くときにとても便利なんです」とのこと。常日頃「たかがケータイにいろんな機能詰め込みすぎ! メールと通話ができればそれでいいじゃん!」なんて不遜にも思っていたのだけど、「触常者」の人々は、私たち「見常者」より何倍もこういう機能を必要としていて、恩恵を受けているんだなあ。優れた技術はすべての人に優しい。ハイテクジャパン、バンザイ! 


しかし、考えてみたら、今日集まったメンバーの中で「私は○○○をやっています」と言えるような活動をしていないのは私だけ。ぬるいな、私......おっと、こんなふうに他人と自分をくらべて「○○していないのは私だけ......」と勝手にひがんでしまうのがいつもの私の悪い癖。こういうひがみ根性が夢見の悪さにつながっているのかも?


講座の後、近所の公園を5キロほどランニング。いつもなら5キロならけっこうヨユーで走れるんだけど、今日は4キロを過ぎたあたりから胃のあたりがムカムカして息が上がって大変だった。こんなふうに不調になったのは、以前、激辛カレーをお昼に食べた後に走ったとき以来。そういえば今日のお昼は「辛ラーメン」だったっけ。走る前に激辛系を食べるのはやめておきましょう。
昨日届いたボトルポーチ「yurenikui」を使ってみた。確かに揺れないけど、いったんボトルを取り出した後、元の場所におさめるのにコツがいるみたい。まだまだ試行錯誤。


ボトルポーチもそうだけど、10キロ完走するのがやっとのへっぽこランナーのくせにやたらとグッズを買いまくるもんだから装備だけはかなりいっちょまえになっている。最近気になっているのはこれ。

夏が近づいてくるので日中のランニングには必需品!目からはいる紫外線は眼精疲労やシミの原因になります!!って雑誌に書いてあったんだもーん(←セールストークを鵜呑みにする素直なワタシ)。しかし、このランニングサングラスってやったらと高いんだよね。いちまんえんとかにまんえんとか、なんで? さらに、サングラスかけて走るとなんだかすごくアスリートっぽいっつうか「本気の人」みたいになっちゃうでしょう? サングラスかけてボトルポーチ装着しいるくせに、たかが5,6キロをアゴあげてよたよた走ってるのはさすがに恥ずかしい......。サングラスっていうのは、Qちゃんみたいなマジランナーがフルマラソンの中盤でシャキーンと外してスパートかけるときに使うモンでしょうよ。せめて5キロを30分で走れるようになってから考えよう。


夜、オットの福岡土産の明太子で夕ご飯。白いご飯と明太子、ああ幸せ......。ちょびっとしかないから一腹のタラコを二等分して二人で分けて食べた。オットはもっとガツンと食べたいみたいだったけど、細く長く楽しみたいのよ私は!